さよなら大好きなひと

ハナノネダン見て来いって言われてた。

ピークは抜けたとはいえまだ寒い二月の帰り道、男鹿が思い出したように呟いた言葉はあまりに似合わなすぎて、とっさに頭の中で漢字変換ができなかった。
ハナノネダン……鼻の根ダーン?
……ああ、花の値段、か。
なんだよ鼻の根って。いや息の根的な。それをダーンと止めてやるぜ的な。
そんなオレのアホな混乱も構わず、男鹿は花屋のガラス戸を引いて奥へ入っていく。
オイほんとお前何事にもちゅーちょねえな。
お前はちょっとコンビニにジャンプ立ち読みに、みたいな気軽さだろうけど、お店のお姉さんの笑顔が引きつるくらい浮いてるからな。

「……花、ねえ」

花屋なんてオレだってあまり縁がない、腰が引け気味に後を追う。
珍しい客が続いて困惑気味の店員さんに、連れです、の意味を込めて男鹿の方へ眼をやれば、ようやく安心したようにごゆっくりご覧ください、とほほ笑まれた。
あいつは何やら真剣に吟味してるから、手もちぶさたでひと通り店内を見たけど、興味もなければ用事もない、すぐ回りきってしまった。
花の匂いはイメージよりも甘くない、ただむせかえるように濃く強くて、なんだか圧される。
視線は自然と、男鹿に戻った。
真っ黒な短ランは、色とりどりの花の中ではやっぱり浮いてるけど。

(なんだかんだで、見慣れてきたよな)

バケツに生けられた花の前でかがむ背中に張り付いた、あざやかな緑の髪の赤ん坊に限らない。
そのベル坊を押しつけようと校内を巡り出してから、もうそろそろ一年が経つ。
そこで出会った連中は、友達とは言えないまでも、いつしか男鹿を囲んでても違和感なく思うようになった。
うるせえ邪魔だってぼやいたとこで、ほんとは賑やかになったこと、まんざらでもないの知ってる。
ていうか物静かなのが好きなんて言わせねえぞ。
オレの平穏をことごとくぶち壊してるのはどこのどいつだ。

「古市ー」
「んん?何見てんの」

ショーケースにへばりついた男鹿に手招きされて横に並んだ。
バラ、チューリップ、オレでもわかる花は結構な値段がついている。

「高くね?これで花束なんて作ったらいくらすんだよ」
「まあ、テレビで出てくるようなやつはな。何千円とかじゃねえの。入口んとこにちっちぇブーケなら置いてあったぞ」
「まじでか」

豪華じゃないけど色を揃えたかわいいブーケ、渡す相手のあてはないけどオレが買うならこういうのかなって思ってた。
指さして示せば、男鹿は眼を輝かせてそっちへ向かう。
ついてこいと引っ張っていかないとみれば、よっぽど夢中なんだろうな。
真面目に選ぶ気があるって伝わったのか、店員さんもなにやら男鹿に説明してるし、もうちょっとほっとこう。

身をもたせかけた高い花のショーケースには、花言葉の一覧が貼ってあった。
眼でたどれば、愛、真実、純潔。男鹿が贈る花束に、どんな思いが込められるのか知らないけど。
結局ぼんやり、誰に何で贈るのか聞きそびれた。
そんな野次馬根性忘れるくらい、花に囲まれた男鹿っていうのは見ることないと思ってたから。
似合う似合わないとかいう問題じゃなくて、男鹿は絶対花を遠ざけるだろうって思う、そんな記憶がオレにはあった。

*  *  *

「マジ眠いッスーうちも男鹿っちみたいにフケればよかったー」

校長の長いあいさつに前の席の花澤さんはふり返って小声でこぼした。
周りの生徒や教師の冷たい視線が刺さるのを感じながら、苦笑いを返す。夏に壊れた校舎は直らないまま、聖石矢魔と合同で卒業式の日を迎えた。
卒業証書を渡すために学年順で並んだ石矢魔のクラスの列、レッドテイル一年の小さな頭の向こうには無人の椅子が見える。

(あいつ……まさかサボるとは……!)

授業態度は不真面目でも、休むことは少ないからって油断してた。
保護者も来るから遅れれば電車混むだろうしって迎えに行かなかったけど、一応靴箱を覗けば外履きがあったからよしよしって思ったのに。
まさか登校しといて卒業式に出ないなんて。あいつぜってえどっかで寝てる。

「というわけでー……諸君は……な訳ですがそれは逆に……」
(……オレもサボりたいっつの)

校長のあいさつはだらだらと長いばかりでちっとも要領を得ず、退屈だった。
何回逆にって言ってんだ、もはや全然逆になってねえよ。
中学んときはオレもお利口だったのに、使ってない能力ってどんどん退化すんだな、まぶたが重い。
もう寝よう、三木が弓道部のお姉さんも壇上に立つって言ってたから、そんときだけ起きよう、おっぱい目当てに。
腕を組んで本格的に寝る体勢に入ろうとした時、ポケットの中の携帯が震えた。

(男鹿かよ)

どうせ屋上で寝てた、とかそんなんだろ、と思いながら目立たないようにこっそり開くと、男鹿からのメールには写メが添付されていた。

『subject:おい

 手紙の最初ってこれでいいのか』

スクロールした先の写真には、机に広げられたカードらしきものが映っている。
そこに書かれているのは、『Death とうじょう』という汚い字。

「……アホか」

力が抜けて思わず呟くと、隣の聖石矢魔の生徒がびくっと変な眼で見てくる。
だってもうあんた、見てよこの馬鹿、と言いたい。
果たし状書くために卒業式サボってんのかよ。
別に東条なんてそんなわざわざ書かなくたって、いつもみたいにケンカしようぜって言えば相手してくれるだろうに。
正しい手紙の書き方なんてこいつに一から教える気はない。
むしろ、男鹿が内容はともかく英単語をきちんと覚えていたことが意外だ。

『subject:re:おい

 何してんだよ馬鹿
 ていうかお前よくDea』

その驚きのままに返信しようとして、ふと指が止まった。
物騒な単語を打ちこみかけて、表示される予測変換。
もしかして、違うんじゃないのか。
作りかけたメールを閉じて、男鹿のメールに戻り、写真をもう一度見れば、カードが置かれた机のわきには紙袋があった。
その中には、色とりどりの花とリボン。

「花澤さん、やっぱオレも抜けます」

一応断って席を立つ。
列を抜ければおい式の最中だぞ、と佐渡原先生が慌てて止めてきた。
めんどくさいからちょっとトイレです、とか言ってると、

「オイ古市てめえまでサボんのかよ!」

列の前の方で神崎先輩が怒鳴る。目立たせんな恥ずかしい。

「神崎先輩ー古市ウンコみたいなんで仕方ないっスー」

花澤さんオレそんなこと言ってないから。

「ちゃんと拭けよー」

姫川先輩バレーんときのこと引っ張んなああ!
夏目先輩も高らかに笑ってんじゃねえマジオレこれ全校にウンコキャラとして認識されたからね!

「……古市、ゆっくりしてきていいぞ」

先生になんかかわいそうな子みたいな扱いされて、ちょっと本気で涙目になりながら体育館を出た。
オレの尊厳はもはや粉々だけど仕方ない。
渡り廊下を走りながら、男鹿へメールを打った。

『subject:re:おい

 ちげえよ馬鹿
 今どこ? すぐ行く』

卒業式の最中だろうと、どんな眼で見られようと関係ない。
本当は嫌いじゃないはずの花を遠ざけなきゃなんなかったお前が、あんな記憶を抱えてもまだなお、その思いをこめて手紙を書くなら。

オレは行かなくちゃ。