どんどどん

※プール回

暑さから逃れようと市民プールに来たが、みんな考えることは同じのようで。
多すぎマジ目障りなんだけどこいつら全員消えねーかな、とどこかのテキトー魔王みたいなぼやきが頭に浮かぶ。
楽園から日常へと急降下した古市は、さすがにいつもの文句も出ないようで、がっくりと肩を落としたままジュースを買いに行った。
にしても遅えな、ふと思ったとき、グラサンかけて気取っていたベル坊が、ダァ、と鳴きながらオレの胸をペチペチと叩いた。

「あぁ?……あいつ、何やってんだ」

プールサイドに視線を向ければ、何人かの男の肩口からぴょこりと覗く銀色の頭。
誰だかわからんが女二人と座っている古市は、柄の悪い奴らに囲まれていた。
世話焼かすんじゃねーよ、と浮き輪から体を起こしかけたが、ビキニの女の肩に手を置いた、石矢魔の不良に見慣れれば小物臭ぷんぷんの茶髪には、見覚えがあった。

「ダ?」
「……いんだよ」

助けに行かないオレを、ベル坊はいいのか? と言うように首を後ろに倒してうかがった。
知らないふりで見上げる空は、あの日と同じ夏の色をしている。

そーゆうのムリなんで、と暴力を極力避ける古市だって、ケンカしたことがないわけではない。
初めてそんな場面を目にしたのは、小学校に上がってちょっと経った頃だ。

周りから遠巻きにされていたオレは、ひょんなことから古市と友達になった。
ケンカの相手にはならなくても、オレを怖がらず隣できゃらきゃら笑うあいつと一緒にいるのは楽しかった。
それにあいつは強くはないが賢かった。くだらんエロいことに頭をいっぱいにするまでは、古市はちゃんと賢かったのだ。
一から十まで全部意見を聞くわけではなかったが、あいつがこれはこうだからこうしないほうがいいと言うこと、納得できる範囲で従ってみれば、オレが教師や親から叱られる回数は格段に減った。
だから遊ぶと楽しいというだけでなく一目置き、大事にせねばとガキながらに思っていたのだ。

ある日教室に入ると古市がクラスのガキ大将と取っ組み合いをしていた。
体格の差もあり古市の劣勢は明らかで、これはいかんと飛び込んだ。
スカートめくりだのキラカードの枚数だのでいばり散らしているガキ大将などオレの敵ではなく、パンチ一発ですぐに尻餅をついて泣き出した。
倒れた椅子や机の間でぽかんとしている古市に、大丈夫か? と声をかけると、あいつは状況を理解するや否や眉をつり上げて、オレの頬をべちんと叩いた。

「男鹿のばかやろう!」

あいつのびんたなんて大して痛くなかったが、感謝されるならともかく怒られるなんて思ってなかったオレは呆然と立ち尽くした。
そんなオレの横をすり抜けると古市は、椅子で腕をすりむいたガキ大将に手を貸し、ごめんな、と謝りながら保健室に連れていった。
なんでだよ。そいつにいじめられてたんじゃねーのかよ。なんで。

その後騒ぎを耳にした教師に、オレと古市、ガキ大将は揃って説教された。
ことの流れを聞けば、ガキ大将が春に入学してきた妹のことで、古市をからかったらしい。かっとなったこいつが手を出したのが始まりだった。
古市は改めてガキ大将に謝り、教師に言われて仲直りの握手をした。
でも、オレには何も言わなかった。
オレは教師にやりすぎよ、といつものため息をつかれただけだった。

毎日放課後あいつと遊んでいたオレが、ひとりでむくれて帰ってきたので家族は驚いた。
今日は遊ばないの? とお袋が聞いても答えないでいたら、アネキがあーらついに愛想つかされたのねー、と笑った。むかついたので蹴ったら、十倍にして返された。

「あんたは気に入らないことあるとすぐそうやって! たかちんのことも叩いたんじゃないでしょうね!」

蹴飛ばされ倒れた背中を踏まれたオレは、悔しさにやけになって言い返した。

「ちげーよ! ……あいつが、オレのこと叩いたんだ」
「え?」

驚きながらアネキはオレを引っ張り起こし、なんでよ、と尋ねた。
学校であったことなんて、あらかた家に来た古市がすらすら話すので、普段順序立ててしゃべることのないオレの話はぼそぼそと要領を得なかった。
そっけなくすればすぐに鉄拳が飛んでくるアネキだが、そういうことをバカにしたり呆れたりというのは、思い返せばない。
オレの下手な説明を辛抱強く聞き終えると、アネキはそりゃそうよ、とため息をついた。

「だって、オレあいつ助けようと思ったのに」
「いじめられてたんならすぐに助けなきゃダメだけど、今回は別よ」
「……なんで」
「ほのかちゃんのことからかわれて、たかちんやめろって怒ったんでしょ? だったらそれはたかちんのケンカ。負けてもさ」
「……あいつの?」
「あんただってケンカしてんのにたかちんに割って入られたら嫌でしょ?」
「イヤっつーか、あぶねーよ。あいつ弱えーし」
「んーと、そうじゃなくて。あんたが誰かに自分の言ってることわかってほしくて、まあ例えばケンカになったとして。例えばたかちんが強かったとして、たかちんがその誰か倒したからって、あんたそれでいいってわけじゃないでしょ」
「たとえが多くてわかんねーよ……」

自分のことなんて古市くらいしかわかってくれないから、例えばじゃなくていつもケンカになるし、例えでも強い古市なんて想像できない。
首をかしげてはてなマークを飛ばしまくっていると、アネキはぽんとオレの頭に手を置いた。

「まあ、たかちんも男の子ってことよ」
「む?」
「男のケンカはひとりでやるもんでしょ?」

それはそうだ。男って言葉は、からまるオレの頭をいつもすっと一本にまとめる。
オレが立ち入れない、あいつのケンカってのがある。
のんきなあいつが、時々大人びる瞬間を、オレは知ってる。今回のケンカの原因の、妹の話をするときもそうだった。
でも、頭ではわかっても、あいつが痛いのはやっぱり嫌だ。
だってあいつ色白いから、ぶつけてあざになったりするとすごく目立つんだ。たいしたことねーよって笑うたび、胸んとこざわざわすんだ。
わかったと頷きながらもくちびるへの字のオレに、アネキはほほ笑んだ。

「まあ、そこまで大事にしたい友達、できたのはいいことじゃない」