※出馬→静、聖石矢魔学祭前
「この間も痛めたって言ってたじゃない。なんで安静にしないの」
ちゃんと整体行きなさいよね、と静さんは腰にぐりぐりと押しつけていた足で軽く背中を蹴った。
「あ、今のええな。背中もお願いします」
「……出馬君ってほんとMよね」
「んんー? 誰にもってわけとも違うで? 女王様、静さんなら大歓迎やけど」
「私Sじゃないし」
それは嘘やろ、と反射でツッコミが浮かぶ、関西人の性はぐっと押しこめておく。
文化祭前の忙しさでだいぶ限界に来ている腰痛、機嫌を損ねてとどめをさされたらバレーどころじゃない。
「力仕事関係は、郷君あたりに回しなさいって言ったわよね。どこでやっちゃったの、ごりごりなんだけど」
「……怒らへん?」
うつぶせになった首をひねって表情をうかがえば、静さんは花のような、うん、そうやね、トゲびしばしの薔薇のような完璧な笑顔で僕を見下ろしていた。
すごいなここまでひとを足蹴にしてるアングルが似合う女子高生もおらんのと違う。
「内容によっては怒る。でも言わないともっと怒るかな」
「いだだだだ言います!言わせてもらいますからこれ以上力入れんで下さい!」
「吐きなさい」
「……図書委員長の手伝いしとって痛めました」
図書委員会は毎年文化祭で古本市を開催する。
スペースを確保するための机の移動やら本の運びこみやら話を聞けば大仕事で、おとなしい小柄な女の子に頼まれたら断れなかった。
郷君に頼もうかとも思ったけど、あいつ顔凶悪なせいで怖がられとるしな。
「……怒らんの?」
無駄に愛想ふりまいて、とか怒鳴られるの覚悟で言ったのに、いつまで経っても罵声も、腰への攻撃さえも降ってこない。
放置プレイに興奮できるほどM道極めとらんのやけど。
「怒る通り越して、呆れたわ」
「……すんません」
「図書委員なんて比較的真面目にやってる子多いもの、いくらでも人手用意できるじゃない。そんなの口実に決まってるでしょ。委員長の子、派手に騒がないけど出馬君のファンだし」
「モテる男はつらいわあ……いで」
今度こそ蹴られた。痛めてる部分は避けてくれたけど。
もうおしまい、と靴をはき始めてしまったから、僕も首を鳴らしながら起き上がる。
「誰にでもいい顔するのは勝手だけど、それでからだダメにしたら意味ないでしょ。バレーもあるんだし、負けたら六騎聖剥奪って、わかってるの」
「わかっとります……でも、バレーも大事やけど、それで生徒会の仕事、おろそかになってもあかんしなあ」
置きっぱなしでぬるくなった缶コーヒーのふちを噛んだ。
安っぽい苦い香りが、からだがゆるんでぼうっとしていた頭を覚ます。
眼を通さなければならない山積みの書類の厚みを指でなぞっていると、半分ちょうだい、と横から腕が伸ばされた。
「……別に仕事、手抜きなさいって言ってるわけじゃないわよ。ただ、本当に必要とされてるのと、下心で頼んでるのぐらいは見分けなさいってだけ」
眼を伏せて淡々と書類にチェックを入れていく、その指先に見とれる。
机にのりそうなたわわなおっぱいよりも、切りそろえられた淡い色の爪なんかに視線が行って、ああ僕疲れてんなあってやっと思う。
厳しい突き放した言い方でも、静さんは心配してくれているのだ。
机にはいくつも、栄養ドリンクの空のびん。
ドラッグストア行ったら石矢魔の生徒がバイトしてておすすめしてもらった、と買ってきてくれた。
それって変な薬盛られてるんと違うの、ぼんやり不安になってみたり。
「こんなこと言うと、また怒られんのかも知らんけど」
「それでも言うの?どんだけMなのよ」
「言わして?ふふ、叱られたいんかもなあ」
「……キモーイ。で?」
「図書委員会、委員長あの子になってから評判ええんよ。検索システム一新して、夏に他校も見学に来たし。張りきんのが、別に僕に気に入られたいからでも構へん。そんで聖石矢魔の名上げてくれんなら」
「……それで優しくするってわけ?」
「そ、頑張りも親切も、その裏に何があるかなんてどうでもええやん。見えんのがキレーなもんなら、それはちゃんとキレーやろ?」
なんでこんなこと、よりによってこのひとに言ってるんだろう。
そうね、なんて頷くひとじゃないのはわかってるのに。
かたん、と椅子を引く音が夕暮れの生徒会室に響いた。
「いいんじゃないの、出馬君がそれでいいなら」
わかんないとこあるから、先生に確認取ってくる。立ち上がってドアに向かう背中は、ちっともいいなんて思ってない毅然とした女王様だ。
へらへらごまかすばかりで、ほんとの気持ちを捧げられない僕なんか、呼びとめることのできない薔薇の花。
「私はそんな、心からじゃない気持ちだったらいらないけど」
ぴしゃりとドアが閉まる。
そうやね、君はそういうひとやね。
だからあの、屈託のない底抜けの笑顔に惹かれるんやろね。
はっきりとは言わない、でもときどき覗く決して明るくない静さんの過去と、久也や悪魔がらみで男鹿君を調べたときに辿りついたあの男の存在。
屋上で石矢魔の連中と軽くやりあったとき、静さんの眼の輝きでその思いを察した。
冷静な参謀が、ただのオンナノコになる瞬間を見た。
でも、だからといって。
「……ほんとの気持ちなんて、言えへんもんなあ」
ぼやきは情けなく、宙に溶けた。
きっと君を思う気持ちは、あの男より強いと思うんだけれど。
強い気持ちはけしてキレーじゃない欲望混じりで、気高き君にはとても言えたものではない。
全部わかってほしいと思っても、自分には明かせない秘密が多すぎる。
ここに来た経緯を差し引いても、臆病な僕にはそれでもと迫る勇気はない。
「出馬さん、ちょっと技のことで相談乗ってほしいんですけど」
「……後でいくらでも乗ったるから、僕のこと踏んで」
入れ替わりで入ってきた久也は、心底気持ち悪そうな眼で僕を見た。
僕に負けず劣らずMのこいつには、残念ながらご主人様の素質はないけれど、その首もとに光る汗、男鹿君にぶつかるためにかいたもんなんやろ。
キレーな気持ちじゃなくても、わかってほしいとあがけるまっすぐさが師匠はまぶしいです。
さあ踏んで、僕の屍を越えていけ、なんてな。