ほんとのきもち(東条)

※(静→)東条、冬のある日

「まさか特売の猫缶で手ぇ打つとは思わなかったなー」
「見た目にだまされてたけど意外と庶民派でしたねー」

すました眼がきらりと輝いた瞬間を思い出して笑えば、隣を歩く庄次もまんざらでもなさそうに眉を下げた。

近所の猫ばあさんが娘家族とハワイに行くっつうから、その間引き受けた縁側に来る野良猫のえさやり。
用意されていたカリカリを皿に山盛りで出せば、猫たちはえさをくれるのがばあさんだろうがオレだろうが構いやしないって風にがっついた。
まだあるから落ち着いて食えよ、なんて背中をなでていたら、少し離れたところから白猫が覗いているのを見つけた。

少し汚れているが毛並みはいい、もしかしたら最近まで飼い猫だったのかもしれない。
寄っていけば後ずさり、混ざりたくねえのかと別の皿にカリカリを分けて差し出しても口をつけようとしない。
わがままなやつめ、とため息つきながらも、力なく鳴かれれば俄然燃える。
庄次とかおるを呼び出して、ほうぼうでいろいろなキャットフードを買い集めた。
試しまくった結果、最終的にそいつがお気に召したのはオレの昼メシより高え高級ねこ缶……ではなく、スーパーで山積みになっていた特売のものだった、って話で。

「しっかし最近の猫缶って高いやつは高いんすね、人間よりいいもん食ってんじゃねえのって」
「……庄次、猫缶って人間も食えると思うか」
「東条さん、まさか……」

余りの猫缶を入れたビニール袋を揺らせば、庄次はひくりとほおをひきつらせた。

「まさかだ。家族のぶんのメシは家にあるけど、今日外で食うつもりだったからオレのぶんはねえ。そんで猫缶買いまくったせいで金もねえ」

軽い財布を開けば所持金53円。
おお安かったころのハンバーガーすら買えねえ。
明日になったらバイト代入るんだけどな。

「あんたって人は……」
「だってあの猫かわいかったんだもん」
「もんじゃないっすよ! あのねー……前々から思ってましたけど、誰かれ構わず助けようとするとか、褒められたことじゃないっすよ、自分が食えないんだったら」

これ猫だからなんか美談っぽくなってますけど、人間の女だったらだまされて貢ぎまくってるだけですからね、なんて庄次はぷりぷりするが、心配してるだけだって伝わるから、反省どころか調子に乗りたくなっちまう。

「はは、あのねこみてえな女だったら貢ぐのも悪くねえなあ」
「……ちったあ懲りて下さいよ」
「庄次母ちゃんみてえだな」
「うれしくない!」
「母ちゃん今日の晩メシなんだ」
「……呼びませんからね」
「ええー」
「相沢家は今晩はしょうが焼きなんです! オレの大好物の!」
「おおっ奇遇だなオレも大好物だぞ」
「言うと思いましたけどダメっす。東条さんむちゃくちゃ食うじゃないすか、オレのぶんなくなる」
「む? んな食わねえぞ? いしやま食堂の定食くらいありゃ足りる」
「あそこ超大盛りじゃないっすか!」

そうか……庄次んちはだめか。
どうすっかなー、かおるはこいつより厳しいから、『自業自得』って言われて終わりだろうし。
仕方ねえこりゃコンビニでうまい棒5本コースだな。
考えるだけで鳴る腹を押さえていると、庄次は心底呆れたというようにため息をついた。

「あーもー……んなオレにたかんなくたって、かわいい女の子に作ってもらえばいいじゃないすか」
「あ? んな物好きいねえだろ」

笑って見返せば、そうっすねーなんて言うと思ってた庄次は、色の濃いサングラスをしていても何となく伝わる、じっとり恨みがましい眼を向けていた。

「七海静にあんな熱い視線送られてるくせにそういうこと言うんすか……!」
「静あ?」

名前を繰り返したらふとおかしくなった。
うす汚れてもなおつんとすましていたあの白猫は、昔の静にちょっと似ていたかもしれない。
しばらく見ないうちに野良に例えるのは悪い気がするくらい、きれいになっちまってたけど。

「静はんなんねえだろ」
「うっわ、そういうこと言いますー? おもっきし他の奴らに対してのカオと違うじゃないっすか、東条さんの前だと」

なんで庄次んなムキになってんだ。女子か。
しかしまあ、静がオレの前でよく笑うのは確かだ。
でもそれは、ガキの頃からの知り合いっつうのもあるだろうし。
かわいいとかきれいだとか思わないかっつうと、嘘になるが。

「……万が一そういう意味だとしても静はねえよ」
「え、趣味じゃないって話ですか。どっちかっていうとかわいい系が」
「かわいいだろ、あいつは。かわいいし、きれいだし、すげえいい奴だし……でも、ねえよ」
「……どういう、意味すか」

詰めた声で遮れば、軽いノリで聞いていた庄次も真顔で足を止めた。
どう言ったもんか、と空を仰げば、吐いた息が白く染まる。
日が短いせいで時間のわりにもう真っ暗な冬の道には家の窓にあかりが灯り、夕食の支度をする給湯器の音やだしの匂いが混ざりあい漂ってきゅうと胸をしめつける。
なつかしいって思うのは、その中にいた記憶からじゃない。
オレと静はあかりを外から眺める側だった。

「……静が、幼なじみなのは言ったよな」
「はい、前に」
「あいつもあの街で育ったんだ、その後はちっと離れたが、もとはオレと同じ汚えガキだったんだ……でも、んな風に全然見えねえだろ?」

オレの真意を見失うまいというような真剣な顔で庄次が頷けば、笑みがこぼれた。
だろ? なんて自分のことでもないのに威張りたくなるような、あたたかい誇らしさ。
本当にそうだ、聖石矢魔の奴らだって、まさかあの七海静にそんな過去があるだなんて誰も思わねえだろう。

始まりは同じだった。
でも、あの街を嫌いながらも、結局あの街で生き抜く力しか手に入れられなかったオレとあいつは違う。
静はあの街から抜け出す努力をして、結果幸せな奴らに憧れられるくらい、きれいになり強くなった。

「あいつ、ガキの頃お姫さまの絵描いてな。こんな風になるんだっつって、オレ笑ったけど、すげえよな、本当になったもんな。めちゃめちゃ頑張ったんだと思うんだよ……だから静のこと、ちゃんと幸せにしてやれる奴じゃねえとダメだろ、オレなんかじゃなくて」
「……でも、あのひとは王子さまは東条さんがいいんじゃないすか」

遠慮がちな言葉に、想像してみる。
王子さま、白馬に乗って、かぼちゃパンツのオレ。
笑えるくらい似合わねえが、ガキの頃飲み屋のチラシの裏に描いたようなヒラヒラのドレスの静が、虎似合わないねえってはしゃいでくれんなら、着てやってもいいかなんて思えた。
それくらいの価値がある、あの花みてえな笑顔には。
だからこそ。

「……さっきの白猫、めちゃめちゃかわいかったよな」
「はあ?」

脈絡がなくて庄次には悪いと思うが、眼を伏せて続ける。
自分に言い聞かせるように、光るみたいに笑われるたびに飛び出しそうになる衝動に一本一本楔を打ち込んでいくがごとく、ゆっくりと。

「かわいいなとか、大事にしてえなとは思う。でも、あいつのためだけにばあさんに、カリカリの他に猫缶用意しろって言うわけにいかねえだろ。こっちで買ってやるにしろ、オレだってメシ食わなきゃなんねえし、他の金だって家とかいろいろ、使うし。結局ちゃんとカリカリにも慣れろよって言うしかねえ。その程度だ、オレは」
「……東条さん」
「もし静がオレがいいっつっても、やっぱダメなんだよ、オレじゃ。あいつあんなきれいになったんだからよ、なんでもわがまま聞いてくれて、食いたいもん食わしてくれて、あいつのこといつでも一番って思ってくれる奴じゃなきゃ、ダメだ……オレが嫌だ」

誰もが憧れるお姫さまが、酔狂にもオレなんかを選んでくれたとして。
愛する気持ちはある、応えてやりたいって思う。
でもかぼちゃパンツが似合わねえオレは、王子さまなんてやっぱ柄じゃねえんだ。
どこかから泣く声がしたら、腹減ったってどうしようって声がしたら、城なんか飛び出して行ってやりたくなる。だってその声は、いつかのオレの声だから。
でもだからって、あいつは城でひとり待ちぼうけなんかしてていい女じゃない。

「……っ、わっかんないっすね! オレだったらあんないい女、好かれたらソッコー乳わしづかみっすけどね!」

ああわかんねーって星空に向かって叫ぶ庄次の声は震えてた。
はは、わかんなくていいぞ、なんて笑ってみせるけど、ほんとは全部わかったの、わかってる。

「つーかそんなんで東条さんどんな女となら付き合えるんすか」
「んー、どうなんだろうな。いるかどうかわかんねえけど、同じこと考えてる奴だと助かるかもな。お互いのこと見るより一緒に誰か助けに行けるような奴」
「ええーいますか女でそんなん」

なかなかいねえだろうなあ。
でもまあとりあえず平気だ、そういうことは覚悟の上で選んだやり方だから。
いてくれたらうれしいだろうなって夢見るだけでも、きっと笑ってやっていける。

「さて庄次話は戻るが、そういうわけでオレにはメシを作ってくれる女はいないわけだ」
「……母ちゃんに肉買い足してってメールします」

よし今日は突撃相沢家の晩ご飯だ。メニューはしょうが焼き、いいっすねオレ大好きです。
ああもうさっさと出て来いそういう女、と吠えながら携帯を打つ庄次に笑っていたら、ふと空の胃をつつく匂いが鼻をくすぐった。

「……カレーの匂いがする」
「夕飯時ですからね、つーかアレ、このへん男鹿ちゃんちじゃないっけ……あ、普通にカレー、男鹿ちゃんちじゃないすか」

足を止めた家には、確かに男鹿という表札がかかっている。
かわいいベルに構えるし、目の保養にオガヨメもいる。
いしやま食堂特盛りの勢いで食えば、男鹿は心底嫌な顔をするだろう。そうすれば食後の運動にも事欠かない。

「庄次、カレー好き?」
「いや、好きですけどね? あんたもしかして」
「母ちゃんに肉はやっぱいいって言っとけ。かわりにかおるにメールして呼び出せ、あいつ昔あんなブルーかブラックみてえな顔のくせにカレー好きすぎてイエローポジションだったから」
「ええええマジで上がりこむんすか!? しかも三人で!?」

突撃晩ご飯、相沢家から男鹿家に急遽変更。
ベルの歓迎、オガヨメの冷笑、男鹿のげんなりした顔にプラスして、オレは運命の出会いまで手に入れることになる。

——

(あとがき)
この後東条さんは美咲さんと出会い意気投合すればいいな!と思います。
深いこと考えず来る者拒まずの親分気質なふたりは結構合うんじゃないかとひそかに推しています(笑)