ほんとのきもち(静)

※(出馬→)静→東条、ベヘモット柱師団襲来翌日

私の知る強いひとがふたり、為すすべもなく倒れた翌日も、当たり前だけど日は昇り、何事もなかったように学校はあった。
印刷したばかりの会議資料を抱えて昼休みのざわめきの中を早足で過ぎると、廊下の隅でささやき合う女の子たちが眼に入った。

「何やってるの、会議始まるわよ。生徒会室に急いで」

急いでいるのもあって強めの語気でぴしゃりと言い放てば、集団の中、書記の子はおずおずと私を見上げてきた。

「七海さん、聞きたいことあるんだけど」
「……会議始まるわよ」
「でも、七海さんなら知ってるかなあと思って」

何がでも、よ。成績優秀な聖石矢魔生なら接続詞ぐらい正確に使いなさいよ。
腕時計を見たい気持ちをぐっと抑えて、どうせ聞かなきゃ会議出ないんでしょ、何を、と言葉の先を促した。

「出馬君、今日休んでるよね?」
「そうね、それで?」
「珍しいから、なんでかなあと思って」

成り行きをうかがっていた周りの子たちが、弾かれるようにお見舞い行った方がいいかなあ、メール送ってもいいかなあ、なんて騒ぎだす。
思わずため息をついてしまう。頭が痛い。
あの男が、好意を向けられるたびに困ったように眉を下げて、決して傷つけないかたちでやんわりかわしてきた結果がこれよ、いい加減にして。

「……理由は知らないけど、首つっこむのはやめといた方がいいわよ」
「な、なんでっ」
「迷惑だと思うから」

反応を待たずきびすを返して、生徒会室へ向かう。
ついてくる足音はない、今日の会議は書記抜きだな。
会議の流れくらい自分で書きとめるから大して困らないけど。

「あたしたち出馬君心配してるだけなのに、冷たあい」
「ちょっと美人だからって偉そうだよね」

後ろからぶつかるひそめた声に、振り返ったりしない。
美人と言ってくれたことだけひそかに感謝しておく。
六騎聖の面々が聞いたらそういう問題じゃないと口々に否定されそうだけど、私出馬君がいなかったらこんなに女子に嫌われてないと思うのよね。
面と向かって文句を言えないあの子たちはきっと、出馬君が戻ってきたら七海さんひどいんだよと甘えるんだろう。
そして出馬君は私に堪忍なあ静さん、と機嫌を取ろうとしてくるんだろう。
元通り元気になったからだを、思い切り踏んでやろう。
せいぜい困って涙目になればいいんだ。
でも今はゆっくり休んでほしい、冷たいとか偉そうとか言われてもなんでも、またきっと私の知らない何かと戦うんだろう出馬君の、傷を癒す時間を守りたかった。

「……もう、今行くわよって」

ポケットで震えた携帯には、生徒会の面子からまだ?というメール。
足を速めながらなんとなくスクロールした受信メールの一覧には、昨日私を呼びだした虎からのメールもあった。

『お見舞い行った方がいいかなあ』
『メール送ってもいいかなあ』

出馬君を思い聞いてきたあの子たちは、私だってそんなことに思いを巡らしてるなんて、想像もつかないんだろうな。
昨日出馬君に、よくわからない男たちにずたずたにされた虎は、昔街の大人たちにいじめられて膝を抱えていた虎じゃない。

虎が負けた。
強くなった虎が負けた。

*  *  *

「ご機嫌斜めだな、お姫様」

午後の授業が終わり、引退した弓道部にでも顔出そうかなと廊下へ出ると、石矢魔クラスのホームルームを終えたところらしい禅さんにはち合わせた。
猫背で歩いてたらせっかくの乳が台無しだぞ、なんて口ではからかうけど、本当は禅さんの中では私なんてつんけんした子どものままなんだってわかってる。
訴えたら勝てそうなレベルのセクハラはこの際流して背筋を伸ばし、授業中もずっと頭から離れなかったことを聞いてみた。

「……虎、結局来なかったんでしょう」
「おう、サボりなんて教えた覚えねえのにな、あのくそったれが」
「あの傷じゃサボりなんて呼ばないわよ」

まだまだ禅さんには敵わないかもしれないけど、私も虎もあの頃よりずっと強くなった。
意識が飛ぶほどの傷を負っても立ち上がれるほどの体、自分にケンカを売ってきた出馬君の敵に向き合えるほどの心。
禅さんが風みたいに気まぐれにいなくなっちゃったの、すごく悲しかったけど、それでも私たちはここまで歩いてきたのだ。
私はともかく、虎がずっと心に置いてきたひとだから、認めてあげて欲しかった。

「何よ」

思わず険しい顔になっていた私に、禅さんはくっと笑いをもらした。

「くくっ、お前の王子様は未だに虎なんだなあと思ってよ」
「……悪い?」
「いや、ただとっくにあの眼鏡の兄ちゃんに乗り換えたんだろなんて、勘違いしてただけだ。でも違うみてえだな」

あいつも虎と同じくらいボコボコにされたんだってな、と面白がるみたいに続けられれば、ばつの悪い思いで胸がいっぱいになった。
出馬君を心配する気持ちはちゃんとある。
何も知らない女の子たちのひとりよがりな好意から、守りたいと思うくらいには。
でも、そんな分別がどこかへ行ってしまうくらい、思いが募るのは。

「変わんねえな。ガキの頃から意地張ってかわいげなかったお前が、年相応にしょげたり泣いたりすんのは、決まって自分のことじゃなかった。虎のことだけだったな」
「……虎が、あんなだったから」

過去にふたをし静御前なんて呼ばれてすましてたって、あの頃世界を教えてくれたひとが、そっちこそ変わらない顔で苦笑いすれば香るように思いだす。ほこりっぽい街のこと。
ただでさえ嘘や裏切りが多い場所で、事情はあっただろうけど禅さんまで去ってしまえば、信じられるのはひとりだけだった。
素直でやさしすぎるせいで何度も陥れられていた虎。
それでひざを抱えることもあったけど、陽が昇ると忘れたように元通り笑える虎だけ。

裏表がないから虎を好きになったのか、虎が好きだからこそ隠しだてしないことが価値になったのか、順番はわからない。
でも会わない間もずっとあの笑顔を思ってやってきた。
いつも毅然としてようって。
何を言われても嫌われてもそれでも、心にないことは言わないようにしようって。
虎は昔、禅さんて太陽ばっかり見てる自分はひまわりみたいだ、なんて言っていたけど、虎こそ私ってひまわりののお陽さまなんだよ。

「別に悪いとは思わねえよ、あいつのこともなんだかんだ言ってかわいいしな。でもあの眼鏡もなかなか有望そうな……まあおっさん心も複雑なわけよ」

なんでさっきからいちいち出馬君をそういう風に言うのよ。
ビアンカとフローラって知ってるか、ああいう心境、なんて私を置いて始める変な話題を早口で遮った。

「そんなんじゃないから出馬君は」
「お? そうか、ほんとにか?」
「……ほんとによ」

少し口ごもったのは、気づいてないわけじゃなかったから。
他の生徒に愛想ふりまいて完全無欠の生徒会長演じて、三木君なんかにも面倒見いいお兄さんみたいにしてる出馬君が、私の前でだけ力の抜けた顔を見せること。
気持ちを伝えてくることはなかったけど、眉を下げてかなわんなあ、なんて呟くやわらかい響きに、珍しく嘘はない気がしてた。

「そんなんじゃ元々ないし、出馬君は悪いひとじゃないけど大事なこと言ってくれないからよくわかんない。私が好きなのは今も昔も虎だよ。ほんとの気持ち、言ってくれる虎が好き。嘘も打算もうんざり、あんな街で育てば」

禅さんだって分かるでしょう、と見上げた顔にからかいの色はなかった。
ちょっと切なげに眼を細めた、真剣な表情。
どくん、と騒ぎだした胸が、抑えようなく早まっていく。

「分かんねえよ」
「……何で」
「お前が何言いてえかはわかるけど、ほんとの気持ち言ってくれるから好きっつーのは、分かんねえな」

なにそれ、と返した言葉はかすれてほとんど音にならなかった。
言わないで。聞きたくない。
わずかな意地でにらみつけても、心臓はもううるさいくらい脈打ってた。
禅さんの細めた眼がどこかつらそうなのはきっと、傾きつつある陽がまぶしいからじゃない。
私にこれからとどめを刺そうとしてるからだ。

「言えねえってことはそういうことだ。あのくそったれが何もためらいなくぽんぽん言えるってことも、そういうことだろうよ」

何言ってるの禅さん、分かんないよなんて笑ってその場にいれるほど、私はバカでも鈍感でもなかった。
気づいたら逃げるみたいにその場から走り去ってた。
呼びとめる声も追いかける足音もない、それだってそういうことだ。
これ以上言うことはないって、なぐさめの余地なんかなく事実だって、そんな。

「……わかってるわよ」

いつも涼しげに歩いてる私が泣きそうに顔ゆがめて走ってるのを、すれ違う生徒たちはぎょっとしてふり返った。
その視線を振り切るようにしてたどりついたのは、旧校舎の屋上だった。
虎と再会した夏の終わりの、コンクリートが焼けるような暑さはもうない。
秋風が洗うように吹き抜ける澄んだ空気の向こうで、傾いてもなお力強く輝く太陽は、こんな時でも悔しいくらいきれいだった。

わかってる。
太陽は私だけを照らすんじゃない。
虎は私にだけやさしく笑うんじゃない。

虎がほんとのことしか言わないのは、気持ちに隠しだてする必要がないからだ。
私に向ける笑顔、他のひとにやさしくするのと同じ笑顔が思いのすべてで、それ以上もそれ以下もない。
出馬君が見せる情けない顔や、周りの女子が想像もしないだろう私のささいなことで浮き沈みするような思いは、そこにはない。

そんなひとだからすきになった。
まっすぐな思いを利用されても、やさしさをふりまくことをあきらめない虎だからすきになった。
ちょっとやそっと傷つけられたくらいじゃびくともしないほど強くなって、望み通り誰もこぼすことなく守れる腕を手に入れた虎に、よかったねって言いたいのに。

「……私を特別にしてよ、虎」

ポケットの携帯を取り出し、虎の番号を表示して通話ボタンに指をかけ、やめた。
心配ねえよ大丈夫だとか、すがろうなんてかけらも思ってない声を聞いて、自分にほんとの意味でとどめを刺せるほど、私は強くなかった。