ぼくときみときみのたいせつなあの子

title by クロエ
※書いた時期が古いため、サイトのお話の中でも特に原作で明らかになった設定と異なる展開となります。以下の点を御了承頂ける方のみご覧ください
・男鹿と古市と古市妹のお話ですが、ほのかちゃんの年齢や名前などの設定が明らかになる前に書いたもののため、古市高1のとき妹小3~4のイメージで書いています
・男鹿と古市の幼少期も本誌で明らかになったものとは異なります

(1)

「王さまも女王さまもひとびとも木も花もみんな、お姫さまが生まれてうれしいのでした」

女子からもらった古びた絵本を、古市はにこにこと読み上げた。

小学一年の秋。
古市には妹ができることになった。
一般に弟だの妹だのができるとなると、親の関心を奪われるのではないかと上の子どもはわがままを言ったり甘えたりするものだと言うが、古市はそんなことはなかった。
小さい女の子を見てはあんな感じかなあ、とほほ笑んだり、生まれたらこんなことをしてあげたい、こんなところへ連れていってあげたい、と声を弾ませたり。
結局のところこいつは長男というか、お兄ちゃん気質だったんだろうと思う。
オレはというと、お袋が「辰巳よりかしこい」と言ったため当時飼っていた犬と血が流れるほどケンカしていました。

「くそっ、お手くらいしろバカ犬っ」

手を差し出しても見向きもしないので軽くはたくと、バカ犬はキャン、と高く鳴いた。
縁側に座っていた古市はその声に絵本から顔を上げると、オレがはたいたところをふわふわやさしく撫でる。

「男鹿がそうやっていじめるからなつかないんだろ。ほら、お手だってするじゃん。お前おりこうだなっ」

頭を撫でていた手でのどのあたりをくすぐると、犬は気持ちよさそうにわふわふと古市にじゃれついた。
顔を舐めようとする犬にのしかかられて、ひざに広げていた本が地面へ落ちる。
ああっ、と悲しげな声を上げるから、拾って土を払ってやった。

「……お前最近こればっかり読んでるな」
「だってお姫さまかわいいんだもん。途中悪い魔女に呪いかけられちゃうんだけどさ、生まれたばっかりのお姫さまに、みんながこうなりますように、って祈るとこが好き」

犬を引き剥がして絵本を返すと、サンキュ、って言って古市はページをめくり始めた。
ほらここ、と差し出されたページでは、きょとんとした赤ん坊を囲んで大人たちがあーだこーだ言っていた。
やさしくなりますように、かわいくなりますように、ダンスがうまくなりますように。
赤ん坊に言ってもわかんねえだろうが、あんまりうるさくしねえで寝かせてやれ、と思ってさして興味も抱けずつっ返すと、古市はちょっとがっかりしたようになんだよー、と言った。

「古市はなんて祈るんだよ」
「え?」
「妹生まれたら、どうなりますように、って言うんだ」

絵本を指さすと、やっと質問の意味を理解したようでうーんと唸った。

「……にこにこしてる子がいいな」
「にこにこ?」
「オレさ、男鹿と違ってケンカ強くないし、つーか弱いし。なんかいろいろかっこよくないことあると思うんだ。でも、なんかこの子がにこにこ笑ってれば大丈夫、って感じだといいな……うん」
「かわいくなりますようにじゃねーのか? お前かわいい女子好きじゃん」
「絶対かわいいからいい。どんなんでも、オレの妹ってだけでかわいいよ」
「どうだか」
「なんだよ、じゃあ男鹿は? 男鹿はオレの妹にどうなってほしい?」

一般に弟だの妹だのができるとなると、親の関心を奪われるのではないかと上の子どもはわがままを言ったり甘えたりするものだと言うが、古市はそんなことはなかった。
しかしオレはというと、お袋が「辰巳よりかしこい」と言ったため当時飼っていた犬と血が流れるほどケンカしていました。
つまりまあガキだったってことだ。

「……お前の妹なんて死ぬほどどうでもいいし」

オレと遊んでても妹のことばっかりの古市にムカついてた。
生まれてもいない妹に、古市を取られたような気がして拗ねてた。
本当は、泣きそうな顔で絵本をぎゅっと握りしめるこいつに、オレよりもっとうまいやり方でやさしくできるやつならいいって思ったのにな。

*  *  *

お兄ちゃんは近頃幸せそうだ。好きな子がいるんじゃないかな、ってあたしは踏んでる。
銀色の髪と白い肌のはかなさを裏切る、たいへん俗っぽい性格をしたお兄ちゃんは、いい感じの相手ができるとわかりやすく浮かれるんだけど、今回はちょっといつもと違う気がする。

真夜中に目が覚めて、眠れないから少しお兄ちゃんと話そうかな、って部屋を出た。
ノックをしても返事がない。お兄ちゃんはわりと一度寝たらぐっすりだからしょうがない。あんまり深く寝てるようだったらあきらめよう、そう思って静かにドアを引く。
カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされたお兄ちゃんは――裸で、眠るっていうよりふっと倒れたみたいに力なくベッドに横になっていた。
えっ、なんで裸? お腹にタオルケットがかかってて、大事なとこは隠れてるけど、なんで裸?

「……ガキは寝る時間だろ」

ふいに頭の上に筋張った腕が伸びて、薄く開いていたドアを閉めた。
びっくりして見上げると、少し困ったようにしかめられた顔。

「男鹿君、泊まってたんだ。気づかなかった」
「おう。お前が部屋上がってから来たからな」

お兄ちゃんの小さい頃からの友達、男鹿君は、しょっちゅううちに泊まりに来る。顔を合わせればあいさつしてくれるけど、知らない間に上がり込んでてもあたしもお母さんたちも気にしない。
それくらいしょっちゅううちに遊びに来るし、お兄ちゃんも男鹿君ちに行ってるみたいだ。
そんなことより。

「……男鹿君、あのさ、なんでお兄ちゃんは裸で寝てんの」

声をひそめて聞くと、男鹿君は気まずそうに、ドアを押さえてない方の手で持っていた湯気の上る洗面器を両手で抱え直した。よく見ると小脇にタオルも挟んでて、風邪引いた時の看病セットみたい。なんだろ。

「そうか……お前見ちまったか」
「え? なんかやばいこと?」
「古市には見たっていうなよ」
「う、うん。で、なんで裸なの?」
「……あいつはイケメンになるために裸で寝てるのだ」
「は?」
「ジャニーズしかり、ハリウッド女優しかり、セレブの芸能人は裸で寝ているらしい。古市はそれを真似て裸で寝ることにしたらしいぞ、うむ」
「……バカじゃないのかなあ」
「オレもそう思う。しかしあいつがどーしても裸で寝ると言い張るのだ」

せっかく秘密の空気に息を呑んだのに、お兄ちゃんってほんと……夢見がちすぎるでしょ……。

「もう、お兄ちゃんってやっぱりどっか抜けてるなあ。せっかく最近雰囲気変わったかもって思ったのに」
「む?」
「あれ? 男鹿君気づいてない? お兄ちゃん絶対好きな子か彼女できたよ。男鹿君に言ってないんだ、ひどーい、あんなにダシに使ってるのに」
「ダシだと?」
「お兄ちゃん最近すっごく楽しそうに電話してるからね、誰からって聞いてみたんだけど、何回聞いても『男鹿だし』って嘘つくんだよー、バレバレなのにねー」

あたしの話に怒ると思ったのに、男鹿君はアホめ……って呟いてほっぺを押さえた。

「男鹿君? なんか顔赤いよ?」
「いや……古市のアホっぷりが恥ずかしくなった」
「あはは、確かに恋してるーって感じだよ。でもねー、あたしは幸せそうだからいいと思う」
「……さみしくねーのか」
「え?」
「お前は、そうやって古市が他の奴に取られるんじゃないかとか、さみしくねーのか」

ぶっきらぼうで外では怖いらしい男鹿君が、さみしい、なんて言うのはちょっと変な感じで、でも真面目な顔してたからちゃんと考えてみる。
さみしくないのか、か。

「さみしいっていうか、いつもみたいにバカっぽく浮かれてたらムカつくしウザいなって思うよ」
「オレも浮かれてる古市見ると殴りたくなる」
「男鹿君が殴ったらお兄ちゃん死んじゃうよー……でも今回は別かな。なんか今回はいい。お兄ちゃん、すごく、ほんとの意味で相手の子のこと大事なんだろうからいいや」

電話を切った後の、好きって気持ちを充電したみたいに少しほっぺを赤くしたお兄ちゃんを思い出したら、なんだかあたしもあったかい気持ちになって、照れ隠しに男鹿君に笑いかけた。
男鹿君はあたしの顔をまじまじと見つめてから、ぽん、と頭の上に手を置く。

「お前、さすが笑ったとこはかわいげあんな」

少し髪をわしゃわしゃかき回してから、ガキはもう寝ろおばけに食われんぞ、って言い残して男鹿君はお兄ちゃんの部屋へ入っていった。
お兄ちゃんに風邪ひかせないでね、って言ったら、閉まりかけたドアの向こうでおう、って唇を上げる。
部屋に戻って鏡の前で笑ってみる。『さすが』ってどういうことだろ。
あたしの笑った顔は、お兄ちゃんによく似ている。