ららら踊ろう毎日ちゃんと

※神夏の夜の営みが主題のお話です。性描写を含むため18歳未満の方は閲覧をお控えください

へあっ、なんて変な声を出してしまってちょっと傷ついたオレのプライド。
口を結ぶ前に手からこぼれ、床で蛇のぬけがらになったコンドーム。
数々の被害もどこ吹く風で、夏目はつまらなそうに玩具を放り投げた。

「……また使ってくんなかった」

電源が入ったままのピンクローターは、ぶいーん!と無邪気にシーツの上を暴れまわる。
おま、これ強だろ。押し当てられた尾てい骨はまだしびれが抜けない。
下ろしていた脚をベッドの上であぐらに組み替える。くたりと横向きに寝そべったままの夏目へ向き合った。

怒鳴ったところで素直に謝る相手ではない。
理由を聞いたところで筋の通った答えが返ってくるとも思えない。
こめかみがひくつくのを耐え、大人の対応を考える。
大人の対応。何も言わずローターを拾い上げた。

「ややややめて! ごめんやだあははっ」

震えるローターをぐりぐりとほおに押し付ける。
ぐりぐり。けたけた笑いながらヤメテと身をよじってもぐりぐり。大人の対応? 知るかんなもん。整った顔立ちが押されてゆがむのに思わず噴き出した。

「くっ……ぶさいく」
「ふふふー」

スイッチを切ってやれば、もともとたれ気味のまなじりがさらにゆるんだ。
不思議。
美形の域に入るであろう夏目が、オレにぶさいく、と言われるたびにうれしそうにする不思議。
ぶさいく、と言うオレの声が、いつもなぜか甘く響く不思議。

「ったく……逆になんで使ってほしいんだか知りてえわ」

普通ならオレが使いたいと言っても拒まれるのがパターンなんじゃねえのか。
常識を突き付けても通用しない相手なのは百も承知でも、やはり理解できない。
ぼやきながら隣に横になり腕を伸ばしてやれば、ためらいなく頭を載せすり寄ってきた。
とくとくいってる、とぺたりつけたほおはまだ熱が引ききっていない。
まだ記憶の新しいところにある、切なげに寄る眉も、こらえきれず漏れる声も、すがるように締め付けるあたたかな感触も。
反すうすればあらぬところに血を集めようと心臓はフル稼働だ。
そんな玩具を使わずとも、満足していると思っていたが。

「ひげー」
「……」
「ピアスー」
「……おいオレの質問どこ行った」

仰ぎみるオレの口もとを宇宙人はいたくお気に召したらしい。
なすがままにあちこち引っ張られながら、ふいに城山に申し訳なくなった。
こんな大将でごめんな。気が済むまでこいつのことぶん殴っていいからな。返り討ちには気をつけろよ。

「んんー? 新たなるカイカンの扉を開けようかなって」
「アホか閉めろ鍵かけろ」
「あはっ、だってさ、どんどん開けて、なんもわかんなくなっちゃえばいいのにって思うんだよね」

石矢魔緊急会議、議題は恋人がドエロだった件について。
ハイ古市。いいと思います! うるせえ鼻血拭け相手は夏目だ。
ハイ姫川。満足させてやりゃいいんじゃねえの? いや笑いごとじゃねえよ荷が重すぎんだろ。
ものの数秒で結論『無理』を叩きだそうとしていたオレの沈黙をどう取ったのか、夏目は淡々と続けた。

「キモチイイ、だけ追っかけて、それしかわかんなくなって……神崎君がいるってのも忘れるくらいだったらいい」
「……」
「そしたら……とっかえが利くじゃん?」

ハマっちゃってもさ、なんて、どんなツラで言ってるのか知りたくても、上からじゃ伏せたまつ毛のせいで眼の色はわからなかった。
床に落ちたコンドームを避妊具とは呼べない男どうし。
抱き合うのはいつも家族の出払った夏目の部屋で、かんたんに道を外れることのできないオレの家柄。
続けることが難しいと、わかっていないわけではなかった。
でも先の不安を思う以上に、こいつと抱き合えることがうれしくて。
オレの腕に頭を預ければベッドから脚がはみ出そうな、自分よりでかい男でもいとしくて。

「……ばか」
「……ん」

気の利いた言葉はなくてただぐいと首に腕を回して抱き寄せれば、夏目は詰まったような声を漏らしてわずかに頷いた。
能天気なオレがうわべのひかりに浮かれているのをよそに、夏目は閉じたまぶたの内側で闇を思っている。
それを照らす本当のひかりなど、知らない。

オレがもっと強くて裏に沈むこいつなんて抱えあげて、裏の裏まで飛べたらいいのにな。

******

そういうことをする、と決めてあいつんちを訪れるときは涼しい顔で迎えてくれるが、そうではなく、流れでなんとなくする感じになったときは、夏目は途中でちょっと待って、と部屋を出ていく。
階下から薄く響く水音を、オレはただぼんやりと聴いていることしかできない。
やがて戻ってくる夏目の顔はいつも少し青ざめていて、ちょっと休むか、と言っても、いいからして、とかたかたわずかに震えながらしがみついてくる。

一度気になって、下であいつがしてるであろう準備を調べてみたことがある。
からだの原理に真っ向から逆らうようなその行為は、想像するだけでぞっとした。

辛そうでも、文句を言うことも弱音を吐くこともない。
だからオレはただ冷たい汗をにじませるこのからだを、早くあたためてやらねばと思うだけだ。

お互いそれほど我慢の利くような、気が長いたちではない。
なのにゆっくりと、確かめるように進めていく。
そこにはもう、何かを残すなんて本来の目的はもちろん、快感をむさぼるような色すらない。
ただ行き場のない気持ち、好きだという気持ちをぶつけるだけの行為。

面倒だなんて思ったことはない。
気の遠くなるような手順を踏んでようやく繋がったときは、幸せすぎて泣きそうになる。
しかし、たくさんの不自然をそれでもそれでもと気持ちで蹴り飛ばしていく交わりは、確実に何かをすり減らしていくような気がしていた。
減っていく、燃えていく。
この恋が終わるとき、オレには何も残らないんじゃないかと思うほどに。

*  *  *

「あ、若お帰りなさい」

家に戻り、親父に用があったのを思い出して事務所に顔を出した。
すると目当ての姿はなく、代わりに帰ってるはずの下の奴らがテレビの前にたまっていた。

「何してんだ」
「いや、コレ見てたら盛り上がっちゃいまして」

視線を集める画面には、ステージでポーズを決める女たち。
ファッションショーのようだが、格好はちょっとしゃれた程度の普段着でモデルも日本人だ。
海外のブランドのもののような、アートっぽい雰囲気とは遠い。

「そのへんのブランドまとめてのショーだそうで、最近人気らしいっす」
「ふーん……んで、何でてめえらが盛り上がんだよ、女が観るもんだろ」
「モデルがなかなか可愛くて」
「あぁ? そんなか?」
「いやいや、結構粒ぞろいっすよ。しかもこんなたくさん」

促されよくよく見れば、女優ほど眼を引くのはいなくともそれなりの美人ばかりだ。
こんなにたくさん、という言葉には頷ける。
一人ひとりは街中探せばなんとか見つかりそうなレベルでも、ここまで揃うと壮観だ。
こんなに可愛い子いっぱいいるとかどこに隠れてんだよ、と見ていたひとりが上げたぼやきに、確かに、と苦笑が漏れる。
騒ぐ理由はわからなくはなくても、さしてテレビに興味は持てない。
頭は自然とすみでささやかれるたわいもない話へと移った。

「あ、今の子いいな」
「お前ショート好きだもんな、元カノもだったよな」
「うるせ、あ、でも今度は巨乳がいいわ、アイツマジ板で悲惨だった」

あいつと付き合うまでは、オレも今度は、なんて思っていた。
前の女は年上で何かとオレを子ども扱いして、そんなところが嫌で別れた。
だから今度は素直に言うことを聞くような奴がいいとか、でも潔い真っ黒な髪は悪くなかった、とか。
しかしそんな計算を飛び越えて、あいつが心を支配した今では。

「若はどの子が好みっすか?」
「……寝る」

屈託なく投げかけられた問いに乱暴に返し立ち上がれば、ばか何かあったんだよ、なんて気遣う空気が立ち込めた。
はしゃいでたとこ、気まずくしちまった。
何でだろうな。前なら気にしなかったことでも、あいつのこと傷つけてんの分かってて、何も出来ない今では、そんなことにすらいちいち胸が痛む。

*  *  *

「……かわりのいない、こい」

自室のドアを後ろ手に閉め、声に出して呟いてみる。
大仰な響きに、んないいもんじゃねえだろ、と自嘲した。

中分けの長い髪、すっと伸びる細いからだ、たれ気味の甘ったるい眼元。
性別を置き換えても触りないあいつの特徴をそのまま落とし込んでみたとこで、像を結ぶのは、ただの全く別の女だ。オレの理想なんかじゃない。

好きなとこを残し、気に食わないとこを引いて今度は、なんて思えない。
いつの間にかオレの中では、夏目とそれ以外、みたいにぱっきりと分かれてしまった。
いいとこも悪いとこも全部くるめて、そのままのあいつじゃなきゃ意味がない。

「……ん?」

ドアに背を預けたままずるずるとその場に座りこむと、歪んだジーンズのポケットに違和感を感じた。
手を突っ込めば没収してきた安っぽいピンクの玩具。
何となしにスイッチを入れれば、間抜けな音を立てて振動する。

他で間に合わせられるなんて到底考えられない、持ち合わせの恋心を燃やしつくすような恋。
結構なこった、と思う。
誰かが言ううわごとならば、そんな一世一代の大恋愛、絶対ものにしろよと無責任に返しただろう。

しかし皮肉なことに、オレと夏目には遠かれ近かれ別れが待っている。
不器用にからだを重ね、好きだ誰より好きだお前しかいないと思いをぶつけあった分だけ、ひとりになったときに抱えて歩かなければならない虚しさは広がる。

そんな残酷なさだめ、逃げたくなるに決まってる。
抱き合う圧倒的な幸福感のすぐ傍には、悲しみがいつも付きまとう。
ふざけた口調、でもごまかしきれない切なげな表情で、なんもわかんなくなっちゃえばいいのに、と玩具をもてあそぶ夏目を、臆病だなんて誰が言える。

「かわりのいない……こい……」

オレにはきっと代わりなんて見つからない。見つけたくもない。
でも夏目にはそんな奴が現れてくれればいいのにと思った。
床に投げつけてぱかんと割れたちゃちな玩具なんかではなく、実際に別の奴と笑うとこなんか想像したら、胸が張り裂けそうになってる情けないオレなんかでもなく。
******

午後の授業を終え、いつもならだらだらと残るとこだが、鞄を引っ掴み足早に教室を後にする。
城山が何か言いかけたが今日は無視だ。
出来ることなら誰にも悟られずにとっとと目的を果たしたいと思ったが、そんなのあいつが見逃すわけなかった。

「神崎君」
「……あんだよ」

背後からの声に渋々振り返れば、ぺたん、と冷たい感触が顎を叩いた。

「ぷっ、いつ切れたのそれ」
「くっそ……六時間目。居眠りこいてたらシャーペンに引っかけたんだよ」

しゃべるたびにぶらぶらと、視界の端で銀が揺れる。
くちびると耳のピアスを結んでいたチェーンは、あろうことかくちびる側に残ってぶっつりと切れた。
耳から垂れんならまだ目立たなかったろうに、これじゃ邪魔だわ間抜けだわ最悪だ。

「あは、かっこわるー。直せんのそれ」
「うっせえな、これから店行って直してもらうんだよ」
「オレも行っていーい?」
「ふざけろ来んなボケ」
「あーあ、せっかく今チェーン外してあげようと思ったのになー」
「……来ていいから頼む」

ふふふと楽しそうに笑いながらちょっと身をかがめた夏目の顔が近づく。
んーこれどうやんの、なんて言うくちびるがすぐそばにある。
ふたりきりでもない廊下なのに胸元から立ち上る香水を感じて、思わずつばを飲み込んだ。

「……こんなとこで赤くなんないでよ……困るじゃん」

オレにしか聞こえないような低めた声でささやかれれば逆効果だった。
夏目の指先にほろりとチェーンがこぼれた瞬間、オレはその胸を押して突き放した。
子供じみた反応にも、夏目は一瞬眼を丸くしただけで、すぐに行こっか、と眉を下げて歩き出す。
何もないように横に並んでも、気をつけていないとへたりこみそうなほどに、やられていた。

*  *  *

「……三時間って結構長えな」

馴染みのシルバーアクセの店に行ってみたものの、同じチェーンは今ないとのことだった。
しかし柄の悪いオレたちが渋い顔をしたのが効いたのか、店主は親しい人間がやっている系列からすぐに持って来させると言った。
そっちの店番の都合なんかも絡んで、手に入るのは三時間後。
無理を通した手前頷いたが、夕方の今から数えれば結構遅くなる。
明日行くっつえばよかったか、と思いつつお前帰っていいぞ、と言えば、夏目はえー付き合うよ、と笑った。

「にしても半端だよね三時間。カラオケでも行く?」
「オレとお前でか……勘弁しろ」
「あは、じゃあゲーセンかな、それとも何か買い物でもする?」
「そうだな……」

行き先が決まらないのでひとまず道のすみに身を寄せる。
店のガラスに映る、ああでもないこうでもないと放課後の遊び場を話し合うオレたちは、関係に悩むことなどない、ただの仲のいいダチにしか見えなかった。
正面から顔を見つめても、先ほど廊下でのように胸は跳ねない。
こんな風でいいのかもしれない、これで十分なのかもしれない。
逃げのような納得をしかけたとき、にこにこと話に夢中の夏目の後ろに、自転車が迫っているのが見えた。

「おい」
「わ……」

思わず腕を掴み引き寄せた。
自転車の女が迷惑そうにベルを鳴らして通り過ぎる。
夏目はありがと気づかなかった、とはにかんだ。
ああ全然ダメだ、これで十分なんて、無理だ。
ふいに縮まった距離に耐えられず向き合っていた顔は背けたが、辛うじて指が回る、無駄な肉はないがしっかりとした骨の感触が伝わる腕は、離せなかった。

「……神崎君」
「……」
「もう大丈夫だよ?」
「……」

ふり払おうと腕を揺らすから、さっとその指に指をからめた。
夏目は空の方の手で髪をかき上げ、ひーとーがーみーてーるー、と呆れたような声を出した。
それにオレは店と自分の背中の間に手を隠し目立たないようにするものの、指に込める力はぎゅうとさらに強くした。

嫌だ、守りたい。
手のひらはオレと同じくらい、一度合わせたら指はこいつの方が細くて長かった、このちっともかわいくない手を守りたい。
否応なく感じる別れの予感からも、それから逃げようと気持ちをごまかすオレ自身の臆病風からも。

「……わかった。それならオレ、行くとこ決めた」

夏目は意固地なガキのように黙りこくるオレにため息をつくと、その手を引いてするりと細い路地に滑り込んだ。
まるで裏道に慣れた野良ねこみたいにぐんぐんと迷いなく先を歩いていく。

「……どこ行くんだよ」
「いいから」

看板を引きずり出す飲み屋、むきだしの肩をさすりながら客引きを始めるキャバ嬢、あくびをする黒ねこ。
猥雑な通りを抜けて、夏目が足を止めたのは。

「平日休憩三時間で四千五百円。ここでいっか」

いわゆる、ラブホだった。