バラード

※性描写が含まれるため15歳未満の方は閲覧をお控えください

(ゆるくそっと傾ければ抱きふくめるように穏やかな波の音がするのだ。いかつい岩からこぼれたはぐれ石だって、なでて揺らしてその角を丸くしてしまうのだ。かと思えばどしゃ降りのように鳴くこともあるのだ。勢いのままに振り回せばかげろう立ち上るアスファルトを洗うように冷やす打ち水みたいな午後四時半の夕立になるのだ。)

高校最後の夏休みは、下の奴らが揃って東条のところへ移ったと気をもんで前半が過ぎ、後半はふたたびの入院で終わってしまった。
もうじき学校が始まるという頃合い。二学期からは聖石矢魔だってね、とのん気な声でかかってきた電話に愚痴ると、夏目はじゃあちょっと遠出して夏休みっぽいことしようか、と隣町の花火大会に誘ってきた。

「ど、したの……っ今日、なんか」
「……あんだよ」

待ち合わせまでやけに余裕をとるから、なんでだと問えばオレ浴衣着ようと思ってと言う。現地集合の約束を無視して家に押しかけ、結ぶのを手伝うはずだった帯をほどいて押し倒した。
花火にはまだ時間があるが、場所取り合戦はもう始まっているだろう。行かないのー? とくすくす笑いながら、こいつもまんざらでもなさそうだった。

「かんざき、く……っん、ケモノだ……」

つい最近まで入院していたから、からだを重ねるのは久しぶりだ。
はっきりした区切りもなく、いつの間にかふたりだけで出かけたり、こうして抱き合ったりするようになっていた。
それは学校での、グループの頭と舎弟という間柄とは切り離されたもので、オレが形だけでも上って立場でねじ伏せるとか、逆に夏目が取り入ろうとしているとかいうわけでもなかった。
窓から突き落とされようが校舎が崩れようが関係なかった。

「……っせえよ」

ゆるやかだった律動を速めれば、夏目は眉を寄せてオレの腕をつかんだ。
声をおし殺すオレたちの分まで窓の外では蝉がうるさい。
くちびるを合わせれば枕に預けていた頭を起こし応えてくる。つらそうな首の後ろに手を差し入れ、支えてやった。

(それだけ聞いて生きてきた九官鳥のように雨を身のうちに抱きながら、ふれればなめらかであくまでもさらりと乾いているのだ。本当はほんの少しの水だけで花を咲かせられるほど強いのに、欲ばりで弱い人間のために祈りの歌を歌うのだ。)

「あーあ」
「……」
「あーあー」
「……っせえな、悪かったっつってんだろ!」

最寄りの駅に降りた頃にはもうどん、どんと低い音が響き始めていた。
時間通りに来て河岸に陣取れば打ち上がるところから見れたはずの花火は、建物やじれったく進む人波にいびつに区切られてしまっている。
先ほどからあーあ、と繰り返す夏目の足取りはそれでも急ぐことなく、声音だって責めるとか残念がるというよりからかっているだけの気がした。

「はは、ごめんごめん。そんなまあ、いいよ」
「……まあな。別にな」

混雑にまぎれて繋がずとも手がふれ合って、珍しく髪を結い上げた横顔が時おり照らされれば、いい場所で一から十まで花火見なくたって来た甲斐あったって思える。
すごく観たいってわけじゃない映画、結局何も買わずに帰ってくる買い物と、同じことで。
まあいい、別に、だって。その後続く言葉は、言ったことがなかった。言われたこともなかった。

「花火って開いた後ぱってなくなるのと、垂れて残るのとあるよね。ああいうのって火薬の違いなのかな」
「なんじゃねえの。オレ垂れんのがいい、別にんなでっかくなくていいから」
「えーオレは派手なのがいいな、パチンコ屋の花輪みたいなやつ」
「お前他に言いようねえのかよ……つーか意外」
「ふふ、地味なの好きそうって思ってた? オレ手持ちならロケット花火とか好きだよ、線香花火より」
「オレは……って待てお前ロケット花火って手持ちじゃねえかんな!?」
「あっはは、神崎君て変なとこまじ、め……」

歩きながらの他愛もない話の途中、ふいに夏目が言葉と視線をとめた。
その眼の先を追えば、少し前にいたカップルが人前だというのにいちゃいちゃとディープキスをしている。
周りの女のグループがあからさまに嫌そうな顔でにらんでいた。
見ているのをオレが見ていることに気づいた夏目は、取り繕うようにばっと笑顔を向ける。

「……っと、神崎君は花火」
「すげえな、つーか、迷惑」
「……そうだね」

苦笑いでため息をつく。お互いなんとなく黙ってしまった。
馬鹿なカップルをよけるように人波が揺れた拍子に、繋げない手がふれる。
やるせなくて煙でぼやけた空を仰いだ。

やさしくしたいと思えばケモノになったりしながら抱く理由、目的なんかなくても一緒にいるだけで満たされる理由、好きだという気持ち。
それを言葉にしないのは、照れくさいからではなかった。
この気持ちに名前をつけてしまえば、始まってしまう。
神様ともつかない何かに届を出してしまえば、続くのは終わることのない審議だ。
好き? どこが? どうして? そして、どうしても?
ひとつひとつ真剣に答えていったところで、じゃあいいですよって通るわけでもないくせに。

次の花火が上がってもうつむいたままの夏目に腕を伸ばした。
ほおにそっと手のひらをあて、引き結んだくちびるを親指でむに、と押す。

「……なに?」
「……虫とまりそうだった」
「……ありがと」

気づかなかった、と泣き出しそうな顔で笑う。
虫なんかいなかった。
それでもふれたかった。

「あのさ、見える方行くのあきらめない? どっからでもそこそこなら見えるし、行ってもたぶん混んでるし。屋台攻めようよ、神崎君何食べたい?」
「……だな、オレお好み」
「じゃあオレ焼き鳥、半分こしようね」

どこがどうしてどうしても、なんて無粋にひんむいて何が残る。
頭なんざよくないふたりだ、自分が組み立てる言葉はもどかしいふたりだ。
それだから出会った、それなのに思いあったのに。
お行儀のいい列を外れたオレたちを照らしたのは、夏目の好きなパチンコ屋の花輪みたいな花火だった。

(その波は抱きふくめはぐれ石の角をゆるやかに丸くしていく。その雨は降り注いでハリネズミの乾いた衝動を潤してくれる。どうすればそんな風に歌えるのかと尋ねれば、それはもともととがっていたのだという。外に向かっていたトゲをひとつひとつ抜いて、内側に向けてひとつひとつ刺していく。幾千の針を呑みながらふれればあくまでなめらかで、やさしい歌を歌う。)

「……にしてんだゴラ」
「ま、待って神崎君違うから」

目ぼしい屋台はどれも列ができていたから、それぞれ分担を決めて分かれて並んだ。
待ち合わせの場所に戻ると夏目は女に熱心に話しかけられ困った顔をしている。逆ナンかと思ってにらみつければ、あわてて止められた。

「――って、雑誌あるじゃん。アレでここ来てる浴衣の人の写真載せてるんだって。それで撮りませんかって聞かれてて」
「お友達といらっしゃってたんですね。こういう者です」

差し出された名刺にある雑誌は、オレも知ってる名前だった。地元のうまい店とか映画の上映スケジュールとか載せてる情報誌。祭とか海とか成人式とか、来た奴らの写真撮って特集してるのも眼にしたことがある。
改めて見れば女はでかいカメラを首から下げていて、遊びに来て男引っかけようって雰囲気じゃない。ひいき目除いてもそこらへんにいるのより浴衣似合ってるこいつを撮りたいってのも分かる。
ムキになってガンくれたのが一気に恥ずかしくなった。

「……いいんじゃねえの、撮ってもらえばよ」
「ちょっ、ひとごとだと思って!」
「いい記念になりますよ」
「って言ってもさ、恥ずかしくない?」
「けっ、恥ずかしがるタマかよ。減るもんじゃねえだろ」
「そうですよ、ぜひお友達と一緒に!」
「……あぁ?」

思いもよらない女の言葉にオレが間抜けな声を上げると、夏目はそれならいいですよー、と意地の悪い笑みを浮かべた。