ロージー

※バレー~ネトゲあたりの神夏です。夏目視点

二学期から通うことになった聖石矢魔は石矢魔よりも少し遠い。
晴れてれば自転車で行くけど、今日みたいに雨なら電車を使う。
バレーでお疲れの神崎君は、ひと駅もいかないうちに隣で寝息をたて始めた。
肩にゆだねられた金色の頭、髪がちくちく首もとにあたってちょっとくすぐったい。
ガラがいいとは言い難いオレたちだから、向かいの席のOLさんやサラリーマンがおかしそうに見てるのを感じた。
目立つなりの自覚はある、他人の視線なんていつもならそんなに気にしない。
でも今日は少し居心地が悪かった。
これはまだ、友達で許される範囲内だろうか。

『こうしてみるとこの辺ってデートスポットみたいなの、結構あるんスねー』

体育館での練習を終えて教室に戻り、ポジションや連携の作戦会議がひと段落ついたときだった。
おいしいって評判のケーキ屋さんが載ってる、と谷村が情報誌を広げ、その数ページ前のデートスポット特集に花澤が目をとめた。
学校や家のあたりは少し街から外れるけど、オレたちの住む県は夜景の名所も多いし、海に面した公園や遊園地なんかもある。
相手がいなくたって盛り上がっちゃう年頃だ。邦枝や大森は興味ない素振りでもちらちら気にしていて、今度一緒に行こうよ、なんて割って入った下川がひんしゅくを買っている。
いつも通りの光景に苦笑しながら、オレと神崎君もどれどれとのぞきこんだ。

『ん? この客船ターミナルって夏ごろ行ったやつじゃねえか。んなカップルで騒ぐような見所ねーだろ』
『でっかい船見てるだけで結構面白かったじゃん。この公園も一年の頃だっけ、なんかのついでに寄ったことあるよねー』
『この肉まんも食ったよな。ふーん、有名なやつだったのか。すげーうまかったもんな』

城ちゃんはきょうだいの世話があるから、神崎君とふたりバイトのない放課後はいつも街をぶらついて回った。
観光名所を狙ったつもりはなかったけどお互い眺めのいい場所が好きで、結果的にそのページに載っていたデートスポットにはあらかた足跡をつけていた。

『え? あんたたちふたりで行くの? こういうとこに?』

急にみんな静かになったから顔を上げれば、女子も男子も揃って微妙な表情を浮かべオレたちを見ていた。
大森が眉をひそめながら言うと、邦枝や花澤、古市君あたりもそうだそうだとばかりに首を振る。
何がおかしいのか本気でわからない。神崎君もたじろいだように頭をかいていた。

『うん、わざわざ行こうよって言って行くわけじゃないけど。放課後とか近くぶらぶらしてればまあ、流れで』
『別におかしかねーだろ。男鹿、てめーらだって行ったりすんじゃねえの』
『いや、行かねーよな古市』
『オレらは帰り遊ぶっていっても、どっちかの家でゲームとかですし……』

レッドテイルに聞いてみても、そういうとこには行かないと同じ答えだ。
教室に残っていたMK5や真田兄弟なんかも、女の子と行く場所だろうと言う。

『ウチは別に友達同士で行ってもいいと思うんスけどー、ぶっちゃけこういうとこで何話してんスか?』
『何って……別に、なあ』
『うん、普通のこと。きれいだなーって景色見たり、どうでもいいことしゃべったり』

改めて問われると困るくらい、オレたちにとっては全然特別なことじゃなかった。
部活をしてるわけじゃないし、バイトがなければ単純に放課後は長すぎるのだ。
少し遠くまで足を伸ばすのなんて苦にならない。
何を話すわけじゃなくても、ぼんやり眺める夕空のピンクと青はきれいだった。耳が痛くなるような寒さの中、食べる肉まんはおいしかった。
帰る頃にはちょうどよくからだは疲れ心は満たされて、ぐっすり気持ちよく眠れる。
今更おかしいからって誰かが取り上げようとしたって、渡すつもりはない大切な時間だった。
なのに。

『クッ、要するにふたりしてたそがれてんだろ。青春じゃねーか』

姫ちゃんにそう鼻で笑われて、胸がかっと熱くなるくらい恥ずかしかった。
ずっと意味を間違えて使っていた言葉の本当を知ったときみたいに。
どうにかごまかして流したくて、もうおしまいってふたをするように笑みを作った。

『男同士でこんなとこばっか行って、オレたちすごいさみしい奴らみたいだね?』
『……うるせえバーカ』

彼女がいないさみしくて残念な男たち、って流れに一応乗っかってみせながらも、正直な目もとはどこかふてくされたようにひきつっていた。
神崎君が傷ついてくれたことにほっとした。
オレも踏みにじった自分の言葉に自分で傷ついていたから。
だって本当に楽しかったんだ。男同士だって友達だって、デートじゃなくたって。

そんなやり取りがあったせいか、今日は寄り道する気にならなくてまっすぐ電車に乗りこんだ。
押し返されないのをいいことに神崎君はどんどんこっちにもたれかかってくる。
友達だってこんなの普通にあることだ。
そう考えようとするけど、城ちゃんや姫ちゃん、思いつく他の友達の中に、オレの前でこんなに無防備になる人は見あたらない。こっそりため息をついた。

何からどこまでが特別な相手とすることで、友達じゃダメなのかなんて議論は正直バカらしいと思っていた。
中学の頃、やきもち焼きの彼女とやたらと距離を詰めたがる女友達が、オレを挟んでそういうことでもめた。どっちのことも少し嫌いになった。
誤解を招かないよう、特別なことは特別な相手だけとするようにした。
境界線を探るような真似は面倒で、わざわざそんな変な駄々をこねたくなる相手が現れるとも思えなかった。
でも、どうしてだろう。
オレは今、友達で許されることのラインをものすごく知りたい。
そのぎりぎりをしたいし、もしはみ出したとしても何か抜け道があるなら使うから教えてほしい。
よりによってその相手は、恋じゃないけど気の合う女の子なんかじゃなくて隣でのんきに寝こけている神崎君だ。
手すりにつかまっておしゃべりしてる女子高生たちのひそひそ声の中身や、向かいのサラリーマンがいじる携帯の画面がいやに気になって仕方なかった。
断ち切るように目を閉じて、あたたかさを感じる方へと寄りかかる。

(……オレも寝ちゃって無意識なら仕方ない、ダメじゃないはず)

とがめるように雨が吹きつける。ガラス窓がオレたちを守っている。

*  *  *

出会ったその日からすぐ、放課後を一緒に過ごす仲になったわけじゃない。
きっかけは一年の夏、バイト帰りに寄った駅ビルで、この世の終わりみたいな顔した神崎君を見かけたことだった。

『何してんの、買い物?』
『……ピアス、壊れたから新しいの買おうとしてたんだよ』

放っとけ構うなってあからさまな態度から何とか聞き出せば、帰りがけ隣のクラスの連中とぶつかったらしい。
シメといたって軽く言ってみせるものの傷だらけで、どうやらぎりぎりの勝利だったようだ。

『先週かな、あいつらバイト先のあたりうろうろしてたんだよね。オレに用あるんだと思ってたんだけど……逆だった、のかな』

言い方は選んだつもりだったけど、ダメ押しになっちゃったみたいだ。
まぶたが今にも閉じそうに力を失う。黙りこんでしまって、帰ろうよ自転車で送るよって声をかけても動こうとしない。

『……あごのとこ、血ついてる。オレハンカチ濡らしてくるね』

人混みがオレたちを隔ててから、そろそろダメかな、って小さく肩をすくめた。
その頃の石矢魔は派閥が新しくできてはつぶし合っていた時期で、身の程を知り誰かの下につくことを選ぶ奴も大勢いた。
神崎君に興味をひかれたのは、そんな中あくまで自分が勝ち上がることにこだわり続けていたからだ。
弱くはないけどそれほど特別じゃない、姫ちゃんみたいな策もないけど、てっぺんに立ちたいって気持ちは誰よりも強かった。
面白いもの見せてくれそうだって下についた。ケンカでは相当戦力になれてると思う。けど、それだけだった。
現在地からはるか遠い望みに焦がれ続けるのは楽じゃないだろう。そう思い始めたらオレの存在だって便利なだけじゃないだろう。神崎君がずっと際どいところで踏ん張っているのは気づいていた。
でも、それに手を貸すとか支えるとかって考えはなかった。背負うものの重みに耐えられずつぶれたとしても、残念だけどそこでおしまいだと思っていた。

(……意外と情が移ってたのかな。戻りたくないや)

今まで見た中で一番沈んだ表情だった。
あの噛みしめた唇が次に開いたら最後、こぼれるのは降参の言葉だって予想がついた。
割り切ってたはずなのに、トイレで用を済ませてもまっすぐ戻る気になれなくて、そんな自分にちょっと驚いた。
ベンチで待つ神崎君が見える位置の雑貨屋で時間をつぶす。
ショーケースに並ぶアクセサリーを何となしに眺めれば、ピアスが壊れたとへこんでいたのがよみがえった。
特別大事にしてたようにも見えないから何がそんなにショックなのかわからないけど、そんなことでくじけてしまうのはもったいないって少し思った。
だって代わりはこんなに安く買える。オレの財布から出したとしてもちっとも懐は痛まない。

『……あ』

ふと向けた視線の先、神崎君は何か弾かれるように立ち上がり、数メートル先の人波の中へと駆け寄った。
さっきまでひどくだるそうにうなだれていたのが嘘みたいな躊躇のなさだった。
周りが邪魔そうに急ぐ間で拾いあげたのは、一枚の画用紙だった。
前を行く子どもが脇に抱えたスケッチブックから落ちたものみたいだ。
気づいてもらえなくて戸惑いながらも、大切そうにほこりをはたく姿に、オレの心のどこか何かスイッチが入る音が聞こえた気がした。

『ありがとうございます、プレゼント用ですか』
『あ、包まなくて大丈夫です』

かっこいいとはお世辞にも言えないシーンだったけど、胸にわき上がる感情は同情ともからかいとも違った。
その時の神崎君がオレには、神崎君の目に映ったあの画用紙のように思えた。
他の誰が価値を見いださなかったとしても、蹴られ踏まれてどこかへ行ってしまっていいものじゃない。
落とし主が気づかずなくしてしまいそうなら、オレが拾い上げて守りたい。
ショーケースの中ピアスじゃないけど、似合いそうなペンダントトップを指さした。

『一目惚れみたいに、この人についてったら絶対退屈しないってなんでか知らないけどビビッと思ったんだよね』
『……そーかよ。じゃあ、見てろ』

あの日贈った新しい関係のはじまりの証は、二年以上経った今でも神崎君の右耳で輝いている。