君は太陽

※姫川と夏目(ラブではない)バブ13あたりから

『東条一派は正直石矢魔統一なんて興味ないだろーし こうなると男鹿ちゃんに頑張ってもらっとくしかねーっすかねー』

この間見舞いに来た夏目が話していたことを思い出していた。
すぐに導火線に火がついた神崎にあてられて、オレもあのときはさせるかって立ち上がりかけたけど。
頭が認めるのを拒否してるのか、はっきり記憶があるわけじゃないが、スタンバトンも腹に仕込んだ鉄板もものともしない男鹿の強さは圧倒的だった。
東条も化けもんみたいに強いが、互角かそれ以上なんじゃないかと思う。
オレがちょっとやそっとやる気出したとこで、入れる世界じゃねえだろ。
窓の外はいよいよ夏、確か最近衣替えがあったはずだ。
きっと石矢魔の連中は、男鹿が邦枝や東条相手にどこまでやるかに沸いていて、神崎やオレがいなくなったことなんて、大して気にもしないんだろう。

「やっほー姫ちゃん。あれ、神崎君は?」

ドアんとこからかけられた間延びした声が感傷的な気分を砕いた。
紙袋を提げた夏目は、ひらひら手を振りながらベッドに近づいてくる。

「あいつなら絶対リベンジしてやるっつって最近体動かしてっから、外いるんじゃねえの」
「ふふ、マジで?さっすが神崎君、楽しみだなー」

城山は忠犬みてえな奴だが、こいつは絶対面白がってるだけだな。
他人の舎弟なんぞ興味ないが、いいのか完全になめられてんぞ。

「だから神崎は外にいるっつってんだろうが。なんで座んだよ」

夏目は部屋の隅から見舞い用の椅子を引っ張り出して、オレのベッドの横で座った。
一年ときからオレも神崎も目立ってんだ、こいつとも面識ないわけじゃないが、ちょっと居心地悪い。

「え、だって外暑いし。神崎君になんか漫画持ってこいって言われただけだから、待ってようかなって」
「電話して呼べばいいだろ」
「たまには姫ちゃんと話するのもいいかなって」
「……話すことなんかねえよ」
「姫ちゃんはリベンジしないの」

そらしていた目線を向ければ、夏目はにっこりと首を傾げていた。
こいつ、ひょっとしたらドアんとこで、オレが色々考えてんの見てたんじゃねえか。
どうにしろ、ぎくりとする問いには変わらない。
悔しさとか強がりとか、かっこつかないもんが覗かないように、慎重に言葉を選ぶ。

「……お前んとこの大将みてえに単純バカじゃねえからな。身の程ってのはわきまえてるつもりだ。東条とか男鹿とかそのへんの強さは、オレの金と知恵で敵うようなもんじゃねえだろ」

グラサンかけててよかったな、泳ぐ眼がばれないで済む。
声よなるべく揺らがずに響け。割りきったんだって、こいつもオレも思えるように。

「……そうかな」

やわらかく落ちた言葉に、思わずすがるように見てしまう。
夏目は雑誌に向けていた視線を上げると、真剣な顔で続けた。

「シュージンも『世の中金・知恵・見た目』って言ってるよ? すごい姫ちゃんパーフェクトじゃん」
「バクマンの話か! つうか話題が古いだろいつのジャンプだよ!」

ジャンプを開いて見せてくる眼差しは無駄に本気だ。
やだもう神崎んとこ三人マジボケで疲れる。
からかわれただけにしろ、そうじゃないって言われるのを期待した気持ちはごまかせない。
でも言われたところで何だ。嘘っぱちのなぐさめでしかないことくらい、わかってんだよ。

「……いんだよ。敵わねえっつったって、所詮石矢魔のてっぺん争いだけの話だ。んなのどうでもいい。金と知恵で手に入るもんなんてたくさんある。そんなちっちぇ話に、オレはしがみつかねえよ」

本当にそうだ。どうせあと一年足らずで卒業すんだし、そしたら無理してあんなろくでもない高校で持ち上げられたとこで、何も残らない。

「……そうかな」

また茶化されると思ったら、夏目の言葉はそこで終わりだった。
何で声のトーン、そんなに落ちんだよ。何でつまんないってそれでいいのかって、くちびるへの字にすんだよ。
オレが一抜けするだけで、お前には神崎がいんだろ。それでいいだろうが。
何でオレのことまで考えてんだよ、バカじゃねえの。

『なんだかんだ言ってやっぱ大将だと思ったね ま 男鹿ちゃんには負けちゃったみたいだけど』

夏目が何でもないみたいにこぼした一言、でも病室には重い空気がたちこめた。
相沢と陣野が思うのは東条のこと。オレと神崎が思うのは男鹿のことと、そして自分のこと。
ごちゃごちゃしゃべってうるさいのもごめんだが、でかい男が五人もベッド並べてじっと黙ってるのも気詰まりだ。
遠慮がちにどこ行くんだよ、と聞いてきた神崎に便所、と答えて、じっとりした病室よりはいくらか空気がマシな廊下へ逃げ出した。
病院まるごと使ってうちの学校の不良ども診てるって聞いた。
気味悪いうめき声が響く中で、涼しげに歩く後ろ姿を見つける。

「何だよ夏目、まだいたのかよ」
「ん? ああ姫ちゃん。看護婦さんが花瓶の水かえんの手伝ってた」
「……お前もぬかりねえな」
「失礼な、純粋な親切ですー。何姫ちゃんはどっか行くの」
「病室狭えんだよ。気分悪いから屋上行く」

行く、けど。と呟けば、ためらいなく言葉尻を拾い、付き合うー、と返される。
同じ立場の奴らと一緒にいるのは、がく然とした気分が色濃くなるようで嫌だったが、こいつは外側にいるからだろうか。ふしぎと邪魔に感じなかった。

「……石矢魔の勢力図もがらっと変わるんだろうな、これで」

屋上のフェンスに背中をもたせかけて、ずるずるとしゃがんだ。
空を仰げば八月の終わりとはいえまだまだ夏の色。途中で買ったサイダーの缶のふちを噛む。
夏目も同じくおごってやった缶を傾け、ぼんやりとそうだね、と返した。

「男鹿は……勝ったんだな、東条に。神崎とか……オレとか、三年間どんなに粋がったって、ちっとも敵わなかったのに、あいつはそれ、石矢魔来て半年でやっちまったんだな」

この前は油断してたからだ、オレだって本気出せば、と心の隅でしていた言い訳を飛び越えて、逃れようもなく力の差を思い知らされた。
覚悟決めて迎えうったあの東条を倒した男鹿も、あの男鹿を苦戦させた東条もすげえ。
オレとか神崎とは次元が違う。そこまでたどり着くどころか、東条の舎弟相手にもほとんど歯が立たなかった。

男鹿にふっとばされたときの悔しさとは違う。
心は悔しさなんてほどの熱も持たずしんと静まり返った空っぽで、名前をつけるなら、悲しかった。
今度こそ本当におしまいだ。
かっこなんか気にする余裕もなくもがいても、やっぱりオレには無理だった。

「オレは……負けた」

改めて口にしてみれば、柄にもなく鼻の奥がつんとした。
ごまかしてそっと目もとを擦ろうにもグラサンが邪魔をする。
外したらさすがにあからさまなので、空を仰いで何とかこらえた。
からだを外に向けてフェンスに寄りかかった夏目は、首だけオレの方をふり返り、まぶしそうに目を細める。

「……でも、かっこよかったよ」

何言ってやがる、一番おいしいとこかっさらってったのはお前のくせに。
文句を言おうとして開いた口は、変な嗚咽がもれそうで閉じた。
落ち着いた声に許しを得たように涙がこぼれる。
伝った跡が乾くより先に次から次へと新しい粒がほおを濡らしていった。

どうしようもないほど打ちのめされた負け犬の、みじめな涙のはずなのに。
気持ちいいとか、頑張ったんじゃねえかとか、バカみたいなことを考えた。
夏目はオレをからかうでもなく、遠く町並みに視線を向けて何も言わなかった。
光が、一番の季節の終わりを惜しむように輝く太陽が、目をじりじりと焼いていく。
ぎゅっと長い瞬きをして、思った。
この涙は太陽がまぶしくて出たもんだから、オレがみじめでも負け犬でもなんでも、等しく輝くんだ。

『――さてと じゃオレも帰るとするわ』

帰ると言って男鹿の後を追う、夏目に続いたオレは完全に二番煎じだった。
超帰るって何だよ小学生かよ、自分の語彙の貧相さに恥ずかしくなりながらも旧校舎を目指せば、これから敵討ちとは思えない、いつものふらふらした背中が目に入った。
何だか微妙にしゃくだったが、どうせ行くところは同じだ。早足で横に並ぶ。

「あれ姫ちゃん、どうしたのそんな急いで」

いつも通りののんきな口調と言葉選び。
でものらりくらりの皮ははがれて、目が笑ってない。相当キテるなコイツ。

「あ?帰るに決まってんだろうが。お前もだろ?」
「帰るわけないじゃん、神崎君と城ちゃんやられて黙ってらんないでしょ。そっか姫ちゃん帰るんだ、はーくじょー」

……いや、そこは乗れよ。いよいよオレがバカみたいだろうが。

「……知るか。オレは帰る。でもな、アレだ、旧校舎の屋上にヘリが迎えにくんだよ」
「ぷっ、さすが御曹司、豪華だね」
「お前らがごちゃごちゃやってたら着陸できねえだろ。だからくだんねえケンカ、とっとと終わらせんだよ」

広げまくったハッタリに、にやにやしていた夏目が堪えきれず噴き出した。
高らかに笑い声を響かせた後、じゃあ行こっか、とオレの背中をぐっと押した。
オレだからってのはきっと関係なく、先立つ誓いにそぐわない平凡なからだを、それでもって引きずっていく負けず嫌いに等しく向けられる光だとしても。あたたかい。

「夏目、お前やっぱ、神崎の下やめてオレんとこ来いよ。ヘリ乗せてやんぞ」
「まーた言う。今度はいくらで?」

昔から何度かこいつを引き入れようとしたことがあった。
そのときは隠し持った強さを買って、だったが。
いつも軽くかわされたが、毎度毎度結構な額を積んだもんだった。

「……そういうのはナシだ」

一瞬きょとんとした夏目は、あれオレ価値落ちた?とかやーだよとか言いながら、でもなぜか、嬉しそうに笑う。

「姫ちゃん、ヘリもいいけどさ、帰りホラ、駅の横の、ラーメン食べて帰ろうよ」
「あ? 奢れってか」
「そういうのはナシで」

ラーメンとか言うから、腹減ってきたじゃねえか、マジとっとと片付けて超帰りてえ。
湿った暗いアジトで、舎弟も女も金と知恵で転がしていたあの頃には、想像もつかなかったこと。
こんなものが欲しくていじけていたなんて、考えたくもない恥ずかしいもの。
これでいいなんて死んでも言わねえが、足はまっすぐ、屋上へと向かう。