恋愛遊戯

※夏目視点→神崎視点と交互に変わります
※クリスマスのカップルイベントを受けての神夏です。2/15現在単行本未収録ぶんの内容を前提としたお話なので、ネタバレが苦手な単行本派の方はご注意ください。

引っ越しの日みたいに恋は終わった。
何度もなぞってあたためた思い出をものわかりのトラックがどこかへ運んでいって、強がりがこれでよかったんだ当たり前だって耳触りのいい言葉で別れを飾りつけた。
空っぽの心だけが残されて、途方に暮れる。

クリスマスイブの日、神崎君は花澤と連れ立って教室を出ていき、オレは雪の中をひとりで帰った。
やけくそみたいにグラタンを作って、もちろんヨーグルッチを入れてくる人なんていないから大層おいしく仕上がって、家族には大好評だったけどみじめなだけだった。

この歳になればさすがに親からのプレゼントは手渡しだったけど、サンタは現れてお門違いのプレゼントを置いていった――神崎君に出会った頃の夢を見た。
前に出るのは嫌だから誰かのとこにつこうって、それを自分よりずっと弱い神崎君に決めたのは、いじわるな気持ちがないわけじゃなかった。
面白そう、には少なからずからかう色があった、最初は。
けどそんな胸のうちを知ってか知らずか、神崎君はオレがついたことを喜び、オレを頼りにし、時には気づかった。
はじめにあったいじわるな気持ちなんていつの間にか消えていた。
内心優位に立ってたのはオレだったはずなのに、いつの間にか負けてた。

神崎君といるのが本当に楽しくて、好きになっていた。

FROM|神崎 一
件名|(無題)
本文|借りてたCD返してーんだけど今日バイトあんのか

眠りから引き上げたのは携帯の着信音だった。
メールを開いて差出人の名前と、いつも通り過ぎる内容を見て、一瞬夢の続きか、もしくは昨日の一件すべてが夢だったんじゃないかって錯覚した。
バイトは昼からで、起きようと思ってた時間より一時間早い。
そんでもって今これは現実で、まだ傷跡が生々しい失恋だってもちろん現実だ。
眠いのとムカつくのとで携帯を放り投げ、布団にもぐりこんでから、結局また起きて返事を打った。
情けないけど一度貼りついた好きの気持ちはなかなか剥がれないし、この複雑すぎるため息を伝えられる絵文字もない。

件名|Re:
本文|別に学校始まってからでいいです

返信して一分も経たないうちに今度は電話がかかってきた。
オレがうんざりしてる理由、知られたら知られたで困るんだけど、もう少しデリカシーってものをさ、なんて心の中で無茶言いながら通話ボタンを押す。

『あんで敬語なんだよ』
「……特に意味ないけど」
『で? バイト結局あんの、ねーの』
「十二時から五時までだけどさ、ほんといいって学校で。急いでないから」
『……お前に話あんだよ』
「え?」
『とにかく五時にバイト先行くかんな、勝手に帰んなよ』

いつも通りの横暴さで一方的に電話は切れた。
細い体のわりに低い声、しばらく耳に押し当てたままその余韻を味わってから、のろのろと支度を始める。
話、なんて昨日まではなくて今日はあること、考えれば聞かずともわかった。
女子でもないのにわざわざ友達のオレに報告するとか、なんてかわいくて、残酷なんだろう。
カーテンを引けば空は晴れているのに、花びらみたいに雪が舞っていた。

バイト上がりに待ち合わせるのは今までも何度かあって、決まって神崎君は時間よりずっと早く来る。五時までって言ったって五時ちょうどに出てこれるわけないのに、せっかちだから早く着いて、オレが来る頃には時間を潰すのに飽きてて、いっつも八つ当たりしてくるんだ。
駐輪場でオレの自転車にまたがって、あと三分遅かったらパンクさせてたとかめちゃくちゃ言ったこと。
そろそろと店に入ってきて、品出ししてるオレに小声でまだかよって文句言って、別にいいのにワックスとかガムとか買ってくこと。
今以上は望めなくても、せめてそういうことだけは続けられますようにって、覚悟決めて店を出たのに、こんな日に限って神崎君はまだ来ていなかった。
それどころか、時間を三十分過ぎても現れない。どうしたのってメール送っても返事は来ないし、電話も繋がらなかった。

(……どう考えても変だ)

神崎君ちまで行ってみようと決めたところで、コートのポケットで携帯が震える。
ディスプレイに表示されたのは神崎君の名前、けど聞こえた声は神崎君じゃなかった。

『もしもし、自分組のもんで、ヤスって言います。若の携帯今オレが持ってて、何回かかかってきてたみたいなんで』

話したことはないけど、顔は浮かぶ。二葉ちゃんが懐いてる、いつもサングラスかけてる人だ。
神崎君の携帯にこの人が出るってことは、どういう状況なんだろう。

「あの、神崎君は……」
『それがっすね、病院なんすよ。若出がけに庭石が表面凍ってるのに気づかないで滑って転んで、頭打って。脳震とうって言うんすか、気失っちゃったんで一応救急車呼んで病院来てるんすよ』
「え、大丈夫なんですか」
『まあ出血もないし、大丈夫だと思いますよ。でっかいたんこぶはできてますけど。まあ眼覚めたら検査して、今日は病院に一泊かもしんないすね』
「検査?」
『気持ち悪いとこないかとか……あーあと、ないとは思いますけど、よくドラマとかであるでしょう』

記憶喪失。

病院の場所を聞いて、自転車を走らせた。
頭ぶつけて気失ったくらいでいちいち記憶喪失になってたら、石矢魔の生徒なんてみんな何も覚えてないだろう。
神崎君は特に頑丈だし、舎弟の人が言ったのもきっと冗談だったと思う。
けど今朝の電話の、話があるなんて珍しく真面目な口ぶりがなんだかフラグめいてる気がして、胸が騒いだ。
そもそも記憶喪失って、どこまで忘れるんだろう。ドラマや漫画では自分のことや、周りの人のことを忘れるのばっかりだけど、自分が寝ているのはベッドって名前だってことや、口にする前のりんごの味は、覚えているんだろうか。
もし神崎君が記憶喪失になったら、オレが教えてあげよう、神崎君自身のことも、みんなのことも。
神崎君は何が好きで何が嫌いで、どれだけ頑張ってて、どれだけみんなやオレに愛されてて、どんな風にみんなと過ごしてきたか――そこまで考えたところで、ふいにあの花の髪飾りが頭に浮かんで、思わず強くブレーキを握った。

「……何考えてんだ、オレ」

昨日のことは教えたくないなんて、馬鹿なことを。
かぶりを振ってくだらない考えを追い払い、もう一度ペダルをこぎ出した。

(記憶喪失っていえば、昔付き合ってた子が好きだったあの映画)

病院の駐輪場に自転車を止めて、早足で入口へ向かう。
風邪かインフルエンザか咳してる人がたくさんいて、申し訳程度にマフラーに口元をうずめた。

(片思いしてる先輩が眼の前でシャッターに頭ぶつけて、主人公の女の子が嘘つくんだ)

教えられた病室の前では、電話くれたヤスって人と組の他の人が紙コップのコーヒー飲みながら笑って話をしていた。

「あ、お見舞い来てくれたんすね」
「神崎君は……」
「さっき眼覚まして、全然元気そうっすよ。心配してくれてありがとうございます」
「中入ってもいいですか」
「どうぞ、まだ頭痛いみたいなんで、少しだけなら」

ノックとともに病室のドアを開ける。広めの個室だった。
神崎君はベッドで、上半身だけからだを起こして窓の外を眺めている。
歩み寄ればピカピカの床に靴音が鳴るけど、黙ってこっちを見ないままだ。

「神崎君」
「……うるせーな、笑えばいいだろ、かっこ悪ぃって」

ピアスだらけの耳がほんのり赤く燃えていて、オレの心に火を移した。

(夏目くんだったら信じる? って聞かれて、ありえないでしょって答えたけど)

「……笑わないよ?」

水色のストライプの病衣、とがった肩にそっと手を置く。
ためらいがちにふり返るから、オレは少しだけ身をかがめ、怪盗がさらうみたいなキスをした。

「……っ!」

神崎君は事態を飲み込むと眼を見開き、オレの胸を強く押す。

「なっ、何すんだお前、いきなり……!」

さあ、ここからが腕の見せ所だ。

(『わたしのことは覚えてますか?』)

「……もしかして神崎君、頭打って忘れちゃったの?」

とびっきりの悲しげな表情で。

(『じゃあわたしに告白したことは?』)

「オレたち、付き合ってるじゃない」