戦場のボーイズライフ

※鷹宮戦を中心とした男古です。原作のこの場面ではどんなことを考えてるかな、という感じで書いている部分が多いので、よかったら単行本(23~25巻)を傍らに読んで頂けると嬉しいです。

〈古市〉
あれは確か小六の頃だ。
オレが立つのは横だって言って、でもそのためにはどうしたらいいんだろうって。
放課後男鹿の家までの道すがら、いつも考えていた。遊び始めてしまえばそっちに夢中で、ランドセルやジャンパーみたいに部屋のすみに追いやったけれど。
忘れずに抱え上げて帰り道また考えた。
手つかずの宿題のことも、隣のクラスのかわいい女の子のことも頭をよぎらず、一心に考えることなんて、それまで他になかった。

「いらっしゃい。辰巳今お醤油買いに行ってもらってるのよ。上がって待ってて」

その日いつものようにチャイムを鳴らせば、出迎えてくれたのは男鹿じゃなくておばさんだった。
リビングのソファで甘いカフェオレをふうふう吹いていると、何も入れないコーヒーを手におばさんも隣に座った。

「今日は何して遊ぶの?」
「えっと、こないだ新しいゲーム買ったから一緒にやろうと思って」
「へえ、見せて見せて」

かばんから出して手渡せば、パッケージを眺めながら懐かしいわねと言う。
先週発売したばかりのソフトだけど、飽きずお姫様を助けに行くヒゲのおっさんは、オレが生まれる前からいる。

「これあたしやお父さんの頃からあるのよ。ねえストーリーってやっぱり今でも変わらないの?」
「はい、たぶん基本的には」
「お姫様がさらわれて助けに行って、っていうのよね。新しい展開はないのかしら」
「というと」
「うーん……嫁姑問題の仲介とか、勤め先の不正をあばくとか」
「そ、それはちょっと重すぎるかなーなんて……」

それじゃ完全におばさんの好きな昼ドラの世界だ。子供向けのゲームだっつうのに。

「そうねえ。やっぱり囚われのお姫様を助けに、っていうのは、シンプルだけどいつの時代も鉄板で男の子が燃える展開なんでしょうね」
「そう……ですね」
「ふふっ、そうだ思い出したわ。美咲が小学生の頃ね、クラスのお芝居でそういうお姫様の役に選ばれたことがあったのよ」

戸棚からアルバムを持ってきて、でも開かないままおばさんは話を続けた。
騎士役のクラス一のイケメンとともに、ヒロインのお姫様に選ばれた美咲さん。
美人だし女の子の友達も多い。嫌味がなくて納得の配役だ。
それを聞いておばさんも親父さんも喜んだけど、美咲さん本人は乗り気じゃなかった。
悪い奴にさらわれて助けを待つだけのお姫様なんて嫌だ、性に合わないって。

「その時辰巳は小学校上がったばっかりだったんだけど。『バカじゃねーの、お姫様なら黙って助けられてろよ』って言って」
「……そんなこと言ったらもちろん」
「そう、美咲にボコボコにシメられてた」

じゃああんたはどうなのよ、と美咲さんは言った。
助けてもらった後、騎士とお姫様は結ばれるの、ふたりは好き同士なのよ。
あんたがもし悪い奴にさらわれて、好きな人が助けに来たらどうするのよ、って。
おばさんがそこまで話したとき、思わずつばを呑んで構えた。
もし男鹿が、好きなら戦って助けろよって言ったなら、オレはどうすればいいんだろうって。

「オレがその悪い奴倒す、って辰巳は言ったわ。好きな奴なら危ない目に遭わせたくないから、自分でどうにかするって。きょうだいね。ふたりとも結論は同じだったのよ」

そこでようやくおばさんはアルバムをめくった。
今のオレ達と同じくらいの年頃の美咲さんは、ドレス姿でおもちゃの剣を振るっている。

「結局脚本を変えてもらってね。騎士と協力して悪い奴を倒す話になってた。みんなで観に行ったのよ。正直他の親御さんの反応は微妙だったけど、あたし達は楽しかった。辰巳もすごく喜んでた」

カフェオレはいつの間にかすっかり冷めてしまった。
男鹿はそろそろ帰ってくる頃だろうか。

「古市君ならどう? 好きな子がさらわれたらやっぱり、戦って助ける?」

オレが立つのは横だって言って、でもそのためにはどうしたらいいんだろうって。
答えはまだはっきりとはわからないけど。
でも男鹿がそんな風に考えてるなら、オレにもできることがあるような気がした。
あいつのようには戦えないオレだけど、あいつのようには戦えないからこそできることが。
だから正直に、思うままを答えた。

「……オレは」

*  *  *

思えば家を出たときから胸騒ぎはあった。
夜空の低い位置、塞ぎそこねた穴のような満月がぎょっとするほど大きくて不気味だった。
冷たい光がさえざえと教室の闇を照らす。
やけに豪華な椅子でふんぞり返る姫川の表情は、影になってよくわからなかった。

「――そういえばお前を拉致るのは二度目だったな、古市」
「姫川……本当にこんな奴一人で男鹿が動くのか?」

姫川と堕天組の会話から状況を読みとろうとフル回転する頭の隅で、一度目の拉致を思い出していた。
せいぜい半年かそこらしか経ってないのに、ずいぶん昔のことのように感じる。
オレはあの時、絶対あいつは来てくれる、大丈夫だって信じて男鹿を待った。
まだあいつのことをナメていた姫川に、見てろよってわくわくする気持ちさえあった。

「動くさ、必ずな……」
「そうですよ毒島さん、私も調べたところ、彼は男鹿が小学校の頃から唯一認めた、言わば相棒のような存在だという」

もちろん今だって、来ないはずないって嫌っていうほどわかってる。
一字一句あの時と同じように答えられる。あいつは来ます、そーいう奴です。
でも今その確信とともに胸に広がるのは、期待じゃなくて苦さだ。
こんな状況なら当たり前にあいつは来ること、そーいう奴なこと。オレはもうよろこばしいとはちっとも思えない。

「オレと戦ってみろ、勝ったら逃がしてやるぜ」

毒島という男が鋭い目で見下ろして言い放った。
聖組でいうなら城山レベル、オレ二人分くらいあるんじゃないかと思う体格だ。
姫川に助けを求めたけど無駄だった。

「……やれよ」

昔からの相棒を拉致してボコれば、男鹿は本気で怒って乗り込んできます。
それはスイッチ入れれば温風が出るとか、会員になれば10%オフだとか、そんな単純なことじゃない。
もともと強いあいつがさらに力を出すならば、それは二度とくり返したくないほど耐えがたい、すごくすごく嫌なことだからだ。
裏切りなのかそのフリなのか、真意は読みとれないけれど。
電子レンジにかければ猫は死にます、みたいなもんじゃねえか。
何でやっちゃいけないことだってわかんねえんだよ、姫川先輩。

「縄をほどいたのが仇になったなっ、ハハッ……いてぇ、くそっ」

なんとか逃げてる自分を誉めてやりたいくらい、どこもかしこも痛かった。
何度も何度も血を吐いて、その上を引きずりながら起こされてまた殴られた。
抵抗はしなかった。ポケットにはヒルダさんから返されたティッシュが入っていたけれど、使わなかった。
初めて使った後、アランドロンにきつく言われていたからだ。
このティッシュの副作用は、命を担保に賭け事をしているようなものだと。
確かにオレの魔力耐性は思いのほか強い、でもその賭けは勝率が高いってだけで100%じゃない。
男鹿や東邦神姫の連中とは違って、元のオレの体は攻撃することもされることも、受け止める土台ができていない。
一時的に同じような力を出せるからといって、同じように戦ってはいけないのだ、と。

『坊ちゃまを狙う敵を相手取ってるとはいえ、貴之に命を落としてまで守ってほしいなんて誰も思っていないんですよ。坊ちゃまも、ヒルダ殿も、ラミア殿も、わたくしも……もちろん、男鹿殿だって』

アランドロンが言いたいことはわかる。
今までだって、オレは弱いまま戦わないままやってきた。
見失いかけたこともあったけど、そんなオレにもちゃんと立ち位置があって、男鹿は小学校の頃からそれでいいって思ってくれていたはずだった。
ついていけるところならどこまでも一緒。でもここからは危ないってテープが張られたら立ち止まる。
王臣紋がついた神崎や邦枝先輩だって程度の差はあれ同じだ。ひざをついたらそこまでで。

『オレはなんでもいいですよ、本気の男鹿とやれるなら』

さっき教室で鷹宮が言っていた。
そんな理由で幼なじみ半殺しにしてまで呼び出すなんて、どう考えても頭がおかしい。そんなことやっていいはずない。
それでもやっぱり男鹿は来るんだろう。
力を試すため引き出すため、ベル坊を守るためオレを守るため。
何度も何度も命がけの戦いに引っ張り出されて、いつしかあいつにとって当たり前になって、たいして文句も言わなくなった。
オレが立ち止まったテープの向こう、誰も行かないところ。
ためらいなく越えていこうとするあいつを、あいつだけを、みんな止めない。男鹿だから、って。
オレだから、ってあいつも言う。好きな奴なら危ない目に遭わせたくない、自分でどうにかするってきっと、子供の頃と同じ顔で。

頭の中、遠ざかっていく背中に腕を伸ばした。
その瞬間、現実では思いっきり後ろにからだを引かれた。

「こっ……こいつ……一体何しやがった……!! 王臣紋もなしにブルを片手で……」

背後から投げようとしてきた男は受け身を取りがてら殴り倒した。王臣紋もなしに、か。
なんでオレには出ねえの、って実はちょっと思ってたけど、逆に今では出ないことが誇らしい。
あいつの従順な部下になんかなれない。
だってこれからオレは、あいつが一番嫌がることをする。
あいつのことを誰よりもわかっていながら、誰よりもわからずやになる。

「字ぃ間違えてんじゃねーよ。オレは智将だ」

命を落としてまで守ってほしくないって張られたテープ、お前が越えるならオレだって行く。
みんながあいつが、男鹿は男鹿でオレはオレだからって悟ったような顔したって、何がお前だけ違うのかオレにはわからない。
古市君ならどう? 好きな子がさらわれたらやっぱり、戦って助ける? おばさんの声がよみがえる。
そう聞かれてあの時、ものわかりのいい答えを返したけど、本当はオレだって強かったら戦って助け出したかった。
好きな奴を危険な目に遭わせたくないのは、オレだって同じだった。

「力を貸そう、智将どの……」

悪魔に魂を売る、なんてたとえ話だと思ってた。
命を担保にした賭け。こんなオレから持っていけるものがあるなら少しくらいはあげるから、ヘカドスさん、力を下さい。
男鹿が来る前にカタをつける。さっきつかんだソロモン商会の情報持って帰る。
本気を出させるために幼なじみ半殺しにするなんてそんな卑劣な作戦、乗るもんか。絶対にあいつを乗らせるもんか。
他の誰にもやれよなんて言えない危ないこと、ひとりだけ当たり前みたいな顔で引き受けるお前を、一回でもいいから邪魔したいんだ。

「おもしろいな、お前……オレとも闘えよ」

ブルって奴に続き毒島と帽子の男を難なく倒すと、髪を撫でつけながら鷹宮が現れた。
ヘカドスさんが息を呑む。今までの奴らとはけた違いの殺気に、オレも背筋が寒くなった。
これはちょっと勝てるかわからない、勝てたとしてもその後体は大丈夫だろうか。
よぎる不安を軽く頭を振って払いのけ、強がりを総動員してにらみ返した。
ずたぼろでも何が何でも帰る。きっとよくやったなんて言ってくれない、嫌な顔をするだろう男鹿に言ってやらなくちゃ。

これがお前がいつもしてることだよ、って。

誰かのために何かのためにって命を賭けてオレが戦うこと、怖いってもし思うんなら。
お前がそういうことするたびに、同じように怖いオレの気持ちをわかって。
戦いはまだ終わらないだろう。お前に戦うななんて言えない。
けどお前の命だって、ベル坊ともオレとも他の誰とも変わらない重みの命だよ。
オレはそれを失うのが本当に怖いよ。
横に立つって約束した。テープの向こうだって。怖い怖いって言い合いながら、ふたりでお互い縛りつけて行こう。
たったひとりで光を目指すあまり、光になってしまわないように。