木綿のハンカチーフにもなれない

※カズくん×梓ちゃん
※高校を出て3年後(22歳)設定で、カズくんがダメ男

今日も帰るの遅くなっちゃった。9時からのお笑い番組、メールしたけどお母さん録画してくれたかなあ。あたしの仕事は基本5時までなんだけど、気の弱そうな上司にごめんね、と頼まれるとついついいいですよー、なんて言っちゃう。
バス停まで近道をしようと飲み屋街を足早に歩いていたら、キャバクラのキャッチにつかまってしまった。おねえさん、ちょっと話聞くだけでいいから、とたばこくさいおにいさんは腕をつかんで離してくれなくて、やめてくださいよー!と振り払おうと身をよじった瞬間、いまだになれないヒールのせいでからだが傾いた。
何もないところで転ぶのが梓、と高校のときの友達にはよくため息をつかれていた。コンクリートに頭ぶつけるのはさすがに痛いよなあ、ときゅっと目を閉じる。
でもなかなか思っていた衝撃は来ない。ぱさ、と誰かにからだを受け止められた。

「……お前、カズの連れじゃね?」
「オガさん!」

顔を上げるとなつかしい顔があたしを覗きこんでた。
なんだお前からまれてんのか、とオガさんがにらみつければキャッチのおにいさんは小さく悲鳴を上げて逃げてく。
少し大人っぽくなったみたいだけど、天下一の不良は健在で、ちょっとおかしくなって笑った。

「男鹿、先行くなって」
「古市古市ー、こいつカズの連れだよな」
「あ、古市さんもいるー」

お酒飲んだ帰りなのかな、ちょっと顔を赤くした古市さんはあたしを見て目を丸くした。
え、ちがくない? と首をかしげる古市さんに、オガさんはちがくねーよ、と後ろからあたしの下ろした髪をふたつに握った。

「あ、ほんとだ。随分雰囲気変わったなー。きれいになったというか」
「そうか? 大して変わんねえだろ」
「いや、きれいになったって。化粧とかするようになったんだ」

口紅オレンジ似合う、とほめられてにえへへ、と頭をかくと、やっぱ変わんねえじゃん、とオガさんが言って古市さんは苦笑した。

「仕事の帰り?」
「そうですー、この近くの銀行で働いてて。オガさんと古市さんは今何してるんですか」
「どっちも県外で働いてんだけど、今日は里帰りして飲んでたとこ」
「ずっと仲いいんですねー」
「まあ、腐れ縁もここまでくるとあきらめっていうか……そうだ、山村君元気?」

当然のようにこぼれたその名前に、一瞬顔がひきつった気がした。

「カズくんはー……わかんないです、全然連絡取ってないんで」
「そうだよなーみんな大人になったんだもんなー。いまだにつるんでるのってオレらくらいじゃねー?」
「知るかよ」

声がちょっと震えたの、気づかれてないかなって思ったけど大丈夫だったみたい。
バス停まで送ってもらって、乗り込んだバスの窓から肩を並べて夜の道を歩くオガさんと古市さんの背中を見ていたら、なんかすこし泣きたくなった。まぶたをこすったら、アイシャドウのきらきらが手の甲で光ってた。

高校を卒業して、あたしたちの道はばらばらになった。
カズくんは東京の私大でひとり暮らし、あたしは地元の短大で実家暮らし。
しょっちゅうメールするって言ったのはカズくんなのに、離れて1ヶ月も経つとあたしのメールに返事をよこさなくなった。
夏休みに久しぶりにあったカズくんはピアスが増えてきつい香水のにおいがして、なんだか知らないひとみたいだった。

「梓お前化粧くらいすれば?」

待ち合わせのハンバーガー屋さんでカズくんは断りもなく喫煙席に座って、たばこに火をつけながらつまらなそうにつぶやいた。
そうだねえ、やっぱ大学生だしした方がいいのかなあ、なんてあいまいに笑ったけど。
けむりでくさくなってしまった水色のワンピース、カズくんと会うために買ったのだったのにな。

★ ★ ★

次の日は大学のときの友達と遊ぶ約束があったので、早めに自分の仕事を片付けて定時に上がった。
お酒はあんまり得意じゃないから、夜もやってるホテルのケーキバイキングに行くんだ。何食べようかなって考えながらお化粧を直す。
学生のころとお給料をもらえるようになってからはずいぶんポーチの中身は変わったけど、チークはずっと変えてない。お菓子みたいなピンク、あたしが買った最初のお化粧品。あの夏休み、カズくんに会った帰り道に買ったのだ。
加減がわからなくて、はじめてつけてった日は大学の友達に笑われたっけ。今はチークだけじゃなくてビューラーも眉マスカラも使いこなせるけど、きっかけがそんなだったせいで、あたしはあまりお化粧が好きじゃない。
さっと鼻筋にファンデーションをすべらせて立ち上がると、同僚の女の子に声をかけられた。

「梓おつかれー、そのスカートかわいいじゃん、デートかー?」
「えへへ、ありがと。残念ながら女の子とだよー」
「梓かわいいのにねえ、今日もお客さんが癒されてたよ。あっ、あんた気つけなね、表に変な男がいるらしいから」
「変な男?」
「なんか柄悪くてでっかいヤンキーみたいなやつ。銀行閉まってからずっと入口んとこいるんだって」

ヤンキーかあ、ヤンキーって結構いいひともいるんだよね、オガさんみたいに、と昨日ふたりに会ったことを思い出しながら従業員出口から出て、ちょっと気になって表を覗くと、そこにいたのは、

「か、カズくん!?」

数年前はまっきんきんだった髪は黒く染めているけど、よくわかんない英語が書かれたおっきめのTシャツとか、ずり落ちそうなズボンとかは確かに柄が悪くて、オフィス街にしゃがみこんでる姿はなんだか不釣り合いだった。

「カズくんだよね、何してんの?」
「……梓あ、お前、変わったなあ」

ヒールを鳴らして駆け寄ると、ゆっくりと立ち上がったカズくんはあたしを見て切なそうに目を細めた。

「昔は髪、ふたつに結って、化粧なんかしないで、かわいい感じだったのに、すっかりきれいになっちまったんだなあ……」

きれいになった、という言葉は同じでも、昨日古市さんに言われたみたいには響かなくて、ちっとも誉められた気がしなくて、思わずむっとしてしまった。

「いきなり何言ってんの。何しに来たの。いまさら」
「いや、なんか今の梓見たら言えなくなった。ちゃんとしてんなあ、お前」
「ほんとに何しに来たの。大学は。カズくん確か今4年生だよね」
「……就職決まんなくてさ。久しぶりに梓に会ったら癒されるかなあって思ったけど、なんか逆にへこむなあ。全然違うもんなあ」

梓も口紅とかすんだなあ、とくちびるに手が伸ばされたので、その手をぐいと掴んで、空いた手で思いっきり、カズくんのほおをひっぱたいた。

「なっ……」
「カズくんのバカ!」

なにすんだよ、と情けなくつぶやいてへらりと笑う。
カズくんは昔から単純でのせられやすくてだまされやすくてバカだったけど、こんな救いようもなく卑屈ではなかった。
あたしの好きだったひとは、こんなではなかった。

「化粧しろって、言ったのカズくんじゃん! 変わんないあたしのことバカにしたのカズくんじゃん! 大人っぽくなったら、また前みたいになれるかなあって思ったのに、全然連絡くれなかったくせに、そういうこと言うの、ひどいよ!」

ほんとはあんなみじめな気持ちではじめての口紅をひきたくなかった。ほんとはカズくんとのはじめてのデートとかで、似合うよかわいいなって言われてはじめてのキスをしたかったのに。
ほんとはいっぱいあげたかったカズくんに、あたしのはじめて。
でもあげれないんだって思ったから、あたしあきらめて、彼氏もキスもそのあとも、全部それなりに通りすぎて大人になったのに。

「ごめんなあ、ごめんな梓。頼むから泣かないで」

大きな手が不器用にあたしの頭をなでる。涙をぼろぼろとこぼすあたしよりずっと、カズくんは泣きそうな顔をしてる。

「きれいになったなって、言いたいだけだったんだよ」

くやしくてむかついてあやすように抱きしめる腕を振り払いたいのに、どうしてかできなかった。
カズくんと違ってあたしはひとりで立てる大人になったはずなのに、この弱くてまぬけでどうしようもないひとに抱きこまれたら、あたしまで迷子になった気がして、わんわん泣いた。

そこのコンビニでチーズケーキ買ってやるから泣きやんで、なんて、あたしはこれからケーキバイキングに行く途中だったんだよ、ばか。