※修学旅行前、付き合っている神崎君と夏目のお話
先週は秋だった。来週はきっと冬だ。
自動ドアを抜けて店の中に入ると暖かさにため息がもれて、無意識に肩を縮めていたのに気づく。
目ぼしいものをカゴに放りこみながら棚をたどるようにして歩けば、目当ての背中はすぐに見つかった。
バイト中でもいつも通り下ろした長い髪。よくわかんねえけど規則ゆるいんじゃねーのこの店。
肩幅や胸板はそこそこあるわりに腰は細い。
それを際立たせるエプロンの紐、よろしくないのはぐっと来たオレじゃなくてぐっと来させたあいつだ、断固。
推しが終わったのかワゴンを引きよせて、洗剤やら柔軟剤やらを棚に戻している。
千手観音みたいにちゃかちゃか動いてるのがなんだか面白くて、気配を殺し近づいて後ろから、両肩のかぎかっこの縦棒をぎゅっと掴んでやった。
「ひゃっ!!……って何もーびっくりしたあー……神崎君かー」
「危ナイヨー落トサナイデヨクソ店員ー」
「誰のせい……」
驚いて取り落とした柔軟剤はすんででキャッチしてやった。
パッケージの白クマぶって裏声で罵倒すれば、呆れながらも夏目の声には笑いがにじむ。
「買い物? 神崎君ちすぐ近くにもっとおっきい店あるじゃん」
「お前がキリキリ働いてっか見に来てやったんだよ」
「ハイハイ見ての通りですよー」
ふいにオレのカゴの中身に眼をとめる。こころなしか表情が曇ったような気がした。
「あー……神崎君コレ修学旅行の買い物?」
「おー、もう一週間ねーだろ、一応な」
「これで全部?」
「二泊三日だしよ」
急に決まったとはいえ、短い旅行だし国内だ。
小さいシャンプーとか洗顔とか、とりあえず揃えてみたものの、なんだったら向こうで調達してもいい。
まだ日にちのある土曜日にわざわざ買いに出たのは、半分くらいはこいつの顔でも見に行くかってだけだった。
「いや、ただオレ明日バイトないから、こーゆうの一緒に買いに行こうって誘おうと思ってただけ」
でも考えたらそんなに買うものないよね、と少し早口で続ける。
いつの間にか色を変えていた感情をお互い認めて、付き合うってことになってから大体二か月経った。
とはいってもバレーやら、泊まりこみのゲームやら学校で修行やらで日々は騒がしく、ふたりで過ごすのは主に放課後の寄り道、休みもどっちかの家に行く程度。
どっかわざわざ出かけるってのは、そういやまだしたことがなかった。
「どっか行くか、明日」
「……うん」
なんとなく照れくさい空気でじゃあどこ行くよ、なんて話し出したとこで、店内放送がレジの応援を呼んだ。
夜メールする、と手を振って駆けていく背中を見送る。
近くのスーパーついでの時間が始まったのか、にわかに客が増えだした。
ブリーチ剤なんかも適当に眺めてレジに向かうと、夏目の列は若い女の集団で埋まっている。
クソ、なんで空いてっとこから順番に並ばねーんだよ。
なんとも思ってない頃からあいつがモテるのは面白くなかったので、これは嫉妬ではない、断固。
要領の悪い研修中バイトにイラつきながら会計を済ませ外に出ると、さっきの女たちがガラス越しに覗きながら騒いでいた。
「やっぱカッコいいねーあの人」
「にこにこしてて感じいいしねー優しそー」
「えーでもロン毛だよ? ロン毛はないよ」
「アレなんのロン毛なんだろうね……」
好き放題言われてんぞロン毛。
笑いをかみ殺しつつ話題の的をオレも見やれば、客がひと段落したのか夏目はレジ前で軽くうつむいていて。
「……――っ」
困り果てたように下がった眉に、まぶしげに細められたまなざし。
ゆるむ頬と引きしめようとする唇が、くすぐりに耐えてるような口元を作る。
もともと気だるげで甘めの顔立ちはもう、終わりかけの桃とかメロンとか、そういう。
そして胸の前で交差させた腕が、自分を抱くように添えられていた。
両肩のかぎかっこの縦棒――さっきオレがふざけて掴んだ場所に。
To|夏目慎太郎
件名|お前の行きたいとこでいい
本文|すけべ野郎
なんであいつあんなにオレのこと好きなんだろう。
ちっとも寒く感じない街をどかどか歩いて、胸の中で膨らんでえずきそうな思いを蹴散らしながら、きっと今はまだロッカーの中、すけべ野郎の携帯を鳴らした。
あんな一瞬で蜜がしたたるくらいに傷むなら、からだじゅうに手形をつけたい。
* * *
2時に駅の北口、あったかくして来てね。
メールにあったのはそれだけで、行き先は書かれていなかった。
一番厚手のダウンをこの冬はじめて引っぱり出して、シャッフルで適当に音楽を聴きながら待ち合わせへ向かう。
いつの間にか絡まって短くなってるイヤホンのコード。見とがめてもーとか言いながらほどくのは、いつも誰かさんの仕事だ。
電車の中でやらせよ、ってほくそ笑みながら歩けば少し早く着いた。
先に着いてるってメールはない、植え込みの段に座って音楽プレーヤーをいじる。
(……あと五分ちょい)
曲にすればちょうど一曲ぶんだ。
歩きながら聴いてるときには何がかかろうと気にならなかったのに、いざプレイリストを眺めてみれば聴きたい曲が思い付かない。
今かかってるやつは別れた相手を思い出す歌だ。
先週入れたアルバムはそもそもラブソングって感じじゃねーし。
なんかねーのかホラ、これからデートだウッキウキみてーな……。
「……ウッキウキじゃねーし」
思わず声に出た。ウッキウキって。猿か。
聴いてるのが浮かれ猿とはつゆ知らず、絡まったイヤホンの向こうで渋い声のボーカルは歌う。
どうして君が好きだって気づけなかったんだろう。
ふと足元に影が落ちて顔を上げると、カシャ、と軽いシャッター音が響いた。
「初デート記念、待ち合わせ編」
携帯の画面から眼を外し、オレの方が撮りてーわボケ笑顔で夏目はピースサインを作った。
どうして君の手を離してしまったんだろう。
片耳外したイヤホンの向こうでなお歌は続く。
「キー!!」
「痛い痛いなんで髪引っ張んの! 猿!?」
「猿だって勝手に写真撮られりゃ怒んだよ」
「猿なの!?」
どうして手を離したのかなんて知らねーし、オレは離さねーし。
どんな切ない歌がかかろうと、浮かれ猿の胸の高鳴りは邪魔できないのだ。
「……どこ行く気だよ、結局」
窓の外流れる景色は普段遊ぶエリアからどんどん遠ざかっていく。
聖石矢魔に通うのに作ったICカードのおかげで、電車に乗り込んでも目的地はわからないままだ。
「んー? そうだね、ほんとならテレビのみたいにアイマスクとヘッドホンで着くまで内緒ーってできたらいいんだけど」
「あんだよ、やけにもったいぶんじゃねーか」
「もったいぶるっていうか……言ってもいいけど、神崎君つまんねー帰るって言わないでね?」
言うかよ。ダチだった頃ならともかく、いや、他の奴ならともかく、か。
昔だって、文句くらい言うかもしんねーけどどんな場所でも帰るとは言わなかっただろう。
いい加減飽きたゲーセンも、金ねーのに回るショッピングモールも、ふしぎと退屈じゃない日々があって今がある。
言葉にする代わりにぺちり軽くデコをはたけば、夏目は照れくさそうに笑った。
「じゃあー……神崎君、空港に行きませんか」
くうこう。
予想外過ぎて音が意味を成すのに時間がかかった。
ようやく理解したところで、頭ん中を横切るのはガキの頃の文房具に描いてあったような、丸くてやぼったい飛行機だ。
「空港って……どこ行く気だよ、んな金ねーぞ」
「いやうん乗らないから」
初デートでまさかのいきなり逃避行、ってわけじゃないらしい。
混乱で短気が限界迎えそうなオレをよそに、夏目はけろりと続ける。
「行くだけ。飛行機見たり、最近リニューアルして、買い物とか食べるとことかも結構あるみたいだよ」
「行くだけ、なあ……」
思い起こせば確かに店やレストランは豊富で、家のもんで旅行行ったとき、二葉があれ見てーだのこれ欲しいだのうるさかった気がする。
荷物もあるし急いでんだってひっぺがしたんだった。
空港なんてただの乗り降り口で、飛行機はただの移動手段で、用もないのに行くなんていまいちピンと来ないが。
「修学旅行で飛行機乗るんだなーって考えてたら、思い出したんだよ、前家族で来たときのこと。ぼーっと見てるだけでも面白そうなとこいっぱいあるのに、通り過ぎるだけでもったいないなって」
「あーオレガキの頃高速のサービスエリアすげー気に入ってぐずりまくったわ。正直あそこだけ行きたかった。そーゆーのか」
「そうそう、ああいうとこの屋台のってすごくおいしそうに見えるよね」
でかいテーマパークに行くのに親父が奮発して取った高いホテル。
最上階にプールバーがあるって聞いて、ジェットコースターよりそっちに行きたいってわめいて困らせた。
大きくなったら絶対行くんだって、ぶすくれながら誓った場所は確かにいくつもあった。
「いつか行きたいって思ってた。けどじゃあいつ行くんだって実際、なかなかタイミングないでしょ。でも思い出しててなんか思ったんだ……それって今日かもって」
本来の目的じゃなく行ってみたいとこ、にきっと限らない。
最近はじめて本当に見たおでんの屋台。
歌のプロモーションビデオやランキング延々やってる、高層ビルのでかいモニター。
用意された遊び場じゃなくても、ふいに惹かれた気持ちいつか遂げたかった。
そしてその時はまだ知らなかったけど。
「あ、終点着くね。行ってもいい?」
きっと心通う誰かこんな奴と、いいないいねって分かち合いたかった。
「……おー、行ってみっか」
どこにすっかな、今度はオレが誘おう。