子どもの時間

学校の昼休みはメシを食ったら机に突っ伏して寝る時間。くっちゃべる周囲の声も前ならやかましいと思うだけだったが、最近のオレはちょっと違う。

「ユミ来月誕生日だよね、彼氏に何かもらうの?」
「それがねー、○○のネックレス買ってくれるって」

ぴくり。

「えーうらやましい、高くない?」
「ほらだってユミの彼氏社会人じゃん、いいなーお金あって」

がばり。
体を起こして女たちに視線を向けると、『男鹿辰巳超ガン見してるんですけど』『ウチらうるさいってこと?』とか言って話をやめてしまう。
本当は続けてほしかった。何ならユミとかいう奴の肩をつかんでどうやってその年上の彼氏と付き合うことになったのか問いつめたかった。
今のオレは今週のジャンプの展開と同じくらい恋バナに興味津々、なぜなら好きな奴がいるからだ。
けど年上のそいつとの関係は一年前、オレがガキだからという理由でキスを拒まれて以来、友達以上恋人未満でちっとも進展していない。

「男鹿ぁっ! 今日こそその生意気な鼻へし折らせてもらうぜ!!」

がらっと勢いよく教室のドアが開いて、金属バットやら鉄パイプやらを持った不良たちがなだれ込んできた。
オレはため息をついて立ち上がる。ケンカが面倒なのもあるが、これは恋わずらいのため息だ。

「男鹿、覚悟ぉっ……へぶっ!」
「次はオレの番だ……ぐふっ!」

古市はオレが高校生だってことに頑なにこだわるけど、同級生のユミだって社会人の彼氏がいるわけだし、真剣交際ならいいんじゃねーのか。
それにあいつが恐れているようなエロいことを、急いでしたいなんて思ってない。
オレの好きだ、にあいつからも応えてほしいだけ。笑顔も泣き顔も見たことあるけど、もっと特別な表情を見たいだけ。その何がいけないのか。
オレがもっと魅力的だったら、古市も世間体を捨てて落ちてくれる?
でもな。

「む? ……何だ、もう終わりか」

考え事をしながら殴っている間に不良たちは沈んでいた。
こんなハンサムでかっこよくてモテモテで、みんなに尊敬されまくっている――

「死ね……男鹿、って痛だだだっ! すいまっせんでしたぁ!!」
「全員、土下座」

尊敬されまくっているオレに、何が足りないって言うんだ。

☆ ☆ ☆

最近のオレはポケGOに加えてドラクエウォークも始めたので忙しい。
それでもキッチンから古市が菓子の載った皿を持ってくると、カーペットの上に放り投げる勢いでスマホを置く。

「これ何だ? アイス?」
「ヌガーグラッセ。この夏から喫茶で出すことになったんだ。メレンゲと生クリームを混ぜたのに、ドライフルーツとキャラメリゼしたナッツを入れて凍らせて……まあ、アイスっちゃアイスだな」
「美味い、ガリガリくんのソーダ味より美味い」
「店で食べたら六百円だっつーの、比べんな」
「む、最上級のほめ言葉だぞ」

土台のアイスは甘さがやさしく、ナッツのカリカリとドライフルーツのねちねちの食感も楽しい。
ガリガリくんもコンビニのおやつも好きだが、古市の出してくれる菓子は上品で、あんまり使ったことのない言葉だがスウィーツという感じがする。
それなのに澄ましてなくて食べやすく、高い菓子に慣れてないオレにもちゃんと美味い。古市って感じだ。料理は作る奴を表すと思う。
こいつはよく自分が作るものより、自分の店のシェフのをはじめもっと美味いケーキはたくさんあると言う。
けどどんなに技術がすごいパティシエが他にいようが、作った奴の味がするならオレにとっては古市のケーキが世界一美味いケーキだ。だって好きなんだから。
そんなことを思いながら皿に残ったソースをこそげていると、ふとテレビのCMに眼が留まった。
オレと同年代のアイドルが、運動部の男の先輩と違う色の制汗剤のキャップを交換して笑い合うという、ベタな高校生活という感じの内容だった。

「何、男鹿お前この子好きなの?」
「いや、オレは別に興味ねーけど、学校の男子の間でめちゃくちゃ人気ある。隣の席の奴がこいつの下敷き持っててみんなに超うらやましがられてた」
「下敷き、懐かし……お前といるとオレ年取ったなって思い知らされるよ……」
「んなに変わんねーだろ」
「いや、変わる。十代と二十代の差は大きい。けどなーんだ、珍しくじっと見てるから、お前も人並みに女の子に興味わいてきたのかと思ったのに」
「違げーし……ていうかお前も好きなんじゃねーの、このアイドル。いっつも女女ってうるせーだろ」
「うるさくないですー、男として普通ですー……まあ、もちろんかわいーなとは思うけど、この子男鹿と同い年くらいだろ? ここまで年下だと、かわいいより若けーなっていうのが先に来るかな、正直」
「……そーいうもんか」
「そーいうもん。オレ妹いるしさ、どっちかっていうと包容力ある、頼れる大人のお姉さんみたいな方がタイプなんだよなー」

その時はとにかく女のことばっかの古市にも、好みってもんがあるんだなと思っただけだった。

☆ ☆ ☆

白い肌が映える紺の無地の浴衣。さらさらと夕暮れの風になびく髪と同じ銀色の帯。
待ち合わせ場所に下駄を鳴らしながら現れた古市は、行き交うたくさんの浴衣を着たどの女たちよりきれいでかわいかった。
ふたりで夏祭りへ行くってだけで何週間も前から楽しみにしてたのに、こんな姿で隣を歩いてくれるなんて、ここまで幸せでいいんだろうか。

「せっかくの夏祭りだからな、実家から持ってきた」

はにかんで袖をはたはたさせてみせる古市に、きれいとか似合うとか言いたいのに、喉が詰まったようになって言葉が出ない。
だって壮絶照れくさいのだ。そういや一年近くこいつのこと好きなのに、作る菓子が美味い、しかほめたことがない。高校三年生で初恋一年生のオレに『見た目をほめる』なんてコマンドはハードルが高すぎる。

「……ひとりで着れたのかよ」
「うん、今youtubeに着付けの動画あんのなー。それ見てやったら簡単だった」

絞り出せた言葉は本当にどうでもいいことだった。
古市はオレがいいとも悪いとも言わないことを全然気にしてない様子で、男鹿も着てくればよかったのに、でもお前なら甚平の方が似合うかな、などと話題が移ってしまっている。オレのことなんかどうでもいいっつの!

それでも会場の神社へ着き、夜店を見て回る頃には上手くほめられなかったことも脇に置いて、オレも古市もめいっぱいはしゃいだ。
最初にごはんくんとかいわれBOYのお面を買って、焼きそばやたこ焼きは手分けして列に並んだ。初めて飲んだタピオカドリンクではタピオカが喉に直撃して咳込んで笑われ、射的では古市が下手すぎてしこたま笑い返した。

しかし一時間半くらいした頃だろうか、そろそろりんご飴とか綿飴とか甘いもん食おーぜって行こうとしたオレの腕を、古市がつかんで止めた。

「……男鹿、わり。靴擦れした」

そう言う古市の顔は青ざめて少し汗をかいていて、足下を見ると下駄の鼻緒が硬かったのか、確かに指の間に靴擦れを起こしていた。しかも赤くなってるとかいうレベルじゃなく、皮がむけて血が出ている。

「……何でこんななるまで放っといたんだよ」
「うー、いや楽しかったからさ。まだ大丈夫かなーって思って、つい」

気まずい空気の中、隣を通り過ぎる浴衣の女の、待ってよ歩くの速い、という甘えた声が耳についた。それを受けた彼氏らしい男はごめんごめん下駄だもんな、と謝っていた。
オレは古市と夏祭りを楽しめることで頭がいっぱいで、浴衣の歩幅の狭さとか下駄の歩きづらさとか全然考えずにずんずん歩いていた。
自分のバカさ加減に嫌気がさして思わずため息をつくと、古市は不機嫌になったととらえたのか苦笑いを浮かべる。

「ごめんなー……着慣れないもん、着てこなきゃよかったな」
「……んなこと言っても仕方ねーだろ」

ああもう、どうして着てきてくれて嬉しかったって本音を言えないんだろう。

「……帰るぞ。おぶってやる」
「いや、さすがに恥ずい。タクシー呼ぶからいいよ」
「でもそれじゃ道路まで出んのもしんどいだろ。ひとっ走りコンビニまで行って絆創膏買ってくっから……」
「男鹿! 古市!」

急にバカでかい声で名前を呼ばれて、視線を向けるとそこには東条がいた。オレが強いって噂を聞きつけてケンカを売りに来た、イカレた石矢魔のOB。実家の八百屋が古市の働く店に果物を卸していて、ふたりも顔見知りだと前に聞いていた。

「お前らも来てたのか! どうだ、何かおごってやろうか?」
「てめーに構ってる場合じゃねーんだよ」
「こら、男鹿! いやー、ちょっとオレ派手に靴擦れしちゃって、もう帰ろうかって言ってたとこなんスよ」
「何? あー、痛そうだな。とりあえず……庄次! 絆創膏持ってねーか?」

東条が問いかければ、連れらしい丸メガネの男がハイハイありますよ、と巾着を探って絆創膏を差し出した。もうひとりの長髪でヒゲの男が準備がいいな、と笑う。

「とりあえずはこれで大丈夫だろうけど、歩いて帰るのはさすがにしんどいだろ? オレたちも一通り回ってきたところだから、車で送ってやるよ」
「えっ、悪いっスよ」
「いいっていいって、遠慮すんな」
「うう、ありがとうございます……情けないです、履き慣れないもの調子乗って履いてきて、こんな靴擦れして」

古市がしょげると、その形のいい頭をぽんぽんと撫でて東条は言った。

「そんなこと言うんじゃねーよ、似合ってるぞ浴衣。かわいくて」

頭にかっと血が上る。拳をぐっと握りしめた。本当は殴りたかったけど、そんなことしたら古市が困るってわかってたから。

「かわいいー? かっこいいって言ってくださいよー」
「ははは、そう言われたかったらお前はもっと筋肉つけなきゃな」

東条の運転する車に五人で乗って帰ることになった。
あからさまに機嫌悪そうな顔をしていたんだろう、りんご飴をおごってもらった。
東条が車でかけたCDの洋楽のバンドが、古市も好きらしくふたりは盛り上がっていた。
時期はずれのりんごで作ったりんご飴は、古市のケーキを食べ慣れた口には甘いだけでもさもさして美味くなかった。

予定より早く帰ると、お袋は風呂で、親父はリビングでテレビをつけたまま寝こけていた。
被ったままだったごはんくんのお面をソファに投げ捨て、やかましいバラエティを消そうとリモコンを手に取る。
するとそのタイミングで、いつか古市の部屋で見た制汗剤のCMが始まった。
クラスの男子がこぞって夢中なアイドル。でもあいつはそうでもないと言っていた。

『どっちかっていうと包容力ある、頼れる大人のお姉さんみたいな方がタイプなんだよなー』

その時は女の話だと思って流していた。
けどきっと、包容力もなくて頼れないガキのままじゃ古市に応えてもらえない。
浴衣をほめられなかったこと、歩くのを気遣えなかったこと、帰るのを手助けできなかったこと。車で聞いた音楽のよさがちっともわからなかったことまで悔しくてふがいなくて、固く胸に誓った。
オレは変わる。

☆ ☆ ☆

だが思い描く大人の男像への道は険しかった。
まず身長。オレだって古市や平均よりは高い方だが、東条やその連れの男たちに比べたら足りない。牛乳をこれでもかってほど飲みまくって、結果腹を下した。
車の免許はまだ取れないから、バイクや原付にしようと思った。でも教習所代や本体の値段を調べて頭を抱えた。親父やお袋に援助を願い出たが、危ないからダメだと断られた。
それならバイトをして金を稼ごうと考えたが、求人誌に載ってるのを片っ端から面接受けたけど全部落ちた。オレなりの最高のスマイルで挑んだっつーのに何でだ。

「古市ー、お前の店でバイト募集してね?」
「お前が? 無理無理、うち高校生は取ってないし、お前絶対神崎さんとケンカする」
「ちっ、しねーよ」
「絶対する、どっちも気ぃ短いもん……ていうか男鹿、お前最近何か疲れてるっつーか、元気ねーな?」
「……んー」
「まあ甘いもんでも食って調子出せよ」

促されてマンゴープリンを一口ぱくり。華やかで濃厚な風味が広がり、眉間に寄っていたしわは自然と消える。
けど次の一言で、上がりかけたオレの機嫌はまた下がった。

「あ、言うの忘れてた。あさって夜オレいねーから、来るなよ」
「……合コンなら行かせねーぞ」
「職場の飲み会だっつの。厨房の連中だけだからみんな男」
「ふーん……」
「まあ夏目さんとか東条さんとか外部の人もちょっと来るけど」
「は? 何で東条が来んだよ」
「こないだのお祭の時のお礼にオレが呼んだんだよ。普通に店の取引先でもあるし」
「……オレも行く」
「ダーメ。部外者だし未成年だろーが」

大人じゃないとできないことをまた見つけた、古市と酒を飲むこと。
その夜親父のウイスキーをこっそり舐めてみた。
苦くて不味かったし気持ち悪くなって、嫌な夢を見た。

オレは夜道をポケGOしながら歩いている。古市の部屋へ行く途中だ。
角を曲がると古市が街灯の下に立っていて、声をかけようとしたがあいつは誰かと話している途中だった。相手は暗くてよく見えない。
大きな手がぽんぽんと銀髪の頭を撫でる。あいつは照れくさそうに笑う。
しばらくして古市は少し背伸びをして、顎を上げ眼を伏せた――キスだ。
慌てて駆け寄ると、はっとしてオレの方をふり向いたのは古市と、東条だった。

そこで飛び起きた。じっとりと嫌な汗をかいていた。
オレはベッドを下りるとめったに使わない学習机に向かい、果たし状を書いた。
そして早朝の街を自転車を漕いで、奴の家へ投函しに行った。

☆ ☆ ☆

河原で蒸し暑い風に吹かれながら、オレは待った。
八月の放課後、太陽は傾いてもギラギラと輝き、絶好のケンカ日和だった。

「男鹿っ!」

ところが土手に自転車を停めてオレの名前を呼んだのは、待っていた東条ではなく、コックコートを着た古市だった。

「何でお前が……」
「今日配達に来た東条さんから聞いてきたんだバカ!」

ポケットからオレの書いた果たし状を取り出し掲げる。
そこには汚い字で『古市は勝った方のもの』と書き殴られている。

「『男鹿とケンカしたいのは山々だけど、勝ったところで受け取れねーからよ』って言われて、何でオレ告ってないのにフラれたみたいになってんの!? めちゃくちゃ恥ずかしかったんだからな!」
「……だってお前、あいつみたいなのがタイプなんだろ」
「はぁ!? 誰がいつそんなこと言ったよ。そりゃ東条さんは優しいし、男として憧れるところはあるけど」
「でもあいつアホだぞ」
「お前も十分アホだろ」
「ケンカだってオレの方が強いし」
「んなのどうでもいいわ! 何度も言ってるけど、オレが好きなのはオ・ン・ナ・ノ・コ!!」
「オレは?」
「っ……お前は……ガキ」

眼をそらして言葉に詰まる。論外ってわけじゃないらしい、友達以上恋人未満の反応。いつもなら悪い気はしないが、今は違った。

「……早く大人になりたい」
「え?」

へなへなとその場にしゃがみ込む。ぺんぺん草を引っ張ってむしった。

「早く大人になって、飲み会帰りのお前のこと車で迎えに行ったり、金稼いで夜景の見えるレストランに連れてって指輪プレゼントしたりしたい……」
「何かバブリーだな……なあ、でもオレ、お前にそんなことしてほしいなんて言ったことあったっけ」

古市は土手を下りオレの向かいにしゃがみ、視線を合わせてくる。

「ねえ……けど、うかうかしてたら他の包容力あって頼れる大人の誰かに、お前のこと取られちまう……」

例えば東条みたいな。
昨日の夢を思い出してヘコんでいると、古市はふはっと噴き出してオレの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「男鹿おっまえほんとかわいいなー!」
「やめろっガキ扱いすんな!」

手をふり払えば、爆笑してた古市は見とれるような優しい笑みに変わって言う。

「そんな急いで大人になんなくていいよ」
「オレはなりてーんだよ」
「いい、いい。どうせ歳なんかいつか取るんだから、今はゆっくりかわいいとこ見せろって」
「かわいいって言うな」

かっこいいって言ってほしい。そんでオレに本気で惚れてほしい。

「だってさ、いつか大人になってかっこよくなったお前見て、昔はかわいかったなーって思うのもきっと楽しいじゃん」
「……」
「……」
「……」
「……何で黙んだよ」
「それはずっと一緒にいてくれる的なことか。つまりオレと付き合ってくれるっていう」
「言ってない! 飛躍しすぎ!!」

顔を赤くした古市は土手に停めていた自転車へ戻って、かごに入れていた袋を持ってきた。
よかった保冷剤まだ凍ってる、と言って開けた箱の中身はいちごやバナナ、キウイやみかんで彩られたフルーツサンドで、いつになるかわからないが店でパンも扱うかもしれないからその試作だという。
飲み物は水筒に入れたオレンジジュース。完全にピクニックだ。夜景の見えるレストランでディナーとは程遠い。
けど古市の部屋以外で会うのはこないだの花火大会を除けば初めてで、昼の光を受けた銀髪がきらきらきれいなのを知った。
ゲームの所持カード一覧のようにオレたちの思い出があるなら、今日また新たに埋まって、オレが焦って飛ばそうとしていた『ガキ編』にも空欄はまだまだたくさん存在するんだろう。
せっかくならコンプリートしたい、とフルーツサンドを頬張りながら思う。

「古市、来年も祭り行こうな」
「おー、そうだな」
「……また浴衣着てこいよ」

少しずつ、大人になる。

☆ ☆ ☆

次の晩の飲み会で東条が果たし状の件をみんなにバラし、古市はオレとの関係を盛大にからかわれたらしい。
後でめちゃくちゃ怒られたが、知らん。