心は独りにさせない(男鹿)

※男鹿とベル坊(とハゲ組)
※修行~スーパーミルクタイムあたりの流れを受けて
※視点を変え同じテーマで続きます

邦枝のじじいの知り合いの寺で、広い部屋にハゲ達と布団を並べた。
二度目の魔二津は夏とは違う表情で、閉めきってもどこからか入りこむ虫の声と夜風が部屋の空気を揺らす。
街灯がないと本当に真っ暗で、オレはまぶたの裏と変わらない闇をそれでもとにらみつけていた。

もとをたどればベル坊の兄貴が来たのが始まりだ。
ベル坊が人間滅ぼす気配ねえから兄貴も、って送りだされたんだ。
正直、こいつが滅ぼすために来たなんて忘れかけてた。
いい加減な魔王のいい加減な息子たちだ、どうせうるせえガキがひとり増えただけだろって思ってたが、違うらしい。
古市や邦枝を気絶させた女どもや、兄貴の部下らしい男たち。
何もわかってないガキふたりの名を借りて、継承争い、だとか。

(……くだんね)

親に選ばれたからって、手柄を立てて次期魔王になんのはベル坊がいい、なんてことはない。知ったこっちゃない。
エラ野郎と戦ったのは、邦枝が捕まったからと、単になめた口きかれて腹立ったからだ。

『バカ者! 貴様にどうこう出来るレベルの相手ではないと言っているのだ!』

あのとき、ヒルダは注意を引き付けるのだけやれって言ったんだ。
邦枝を取り返すのが先決だって、戦ってもオレじゃ敵わないからって。
でもオレは、それを無視してガチでぶつかろうとして。

(もう、腹立ったからで手出していいレベルじゃねーよな)

腹を貫かれて眼を見開いたヒルダの表情を覚えてる。
ベッドでの頼りない声も。
深く聞かずに修行に付き合ってくれてる邦枝だって、ヒゲ親父が来なければどうなっていたかわからない。

(情けねーけど……怖ぇ)

怖い。
隣に立つ奴らが守れなくて倒れてくのも、血が噴き出して痛みと寒さに震えるからだも。
不良同士でケンカすんのとは違う。
プライドは失っても取り戻せるけど、命はそうはいかない。

ベル坊の継承権なんざくれてやったっていい。
オレの周りの悪魔連中はそれじゃ困んのかもしんねーけど、思うにあいつらは手段選ばず人間滅ぼして、魔界での手柄上げるなんていうのには向いてない。

手引く頃合いなのかもしんねーな。
悔しくて強くなりたくてこんな山奥まで来た。
けどそれはただのオレの意地だ。
その繰り返しの中で、誰かが倒れんなら、もう――

「……ダ? ッダァ、ダー、ブー……」

不安げな声に首だけ動かせば、闇に浮かぶ真っ白な……ケツ。
どうやらベル坊は目が覚めてしまってオレを探してるらしいが、暗くて見つからないらしい。
起き上がるのがだるくてそのままにしていたら、小さな手は隣に寝ていたハゲ頭をべちべちと叩き始めた。

「ダ!? ダッ、ダッ、ダー!」
「な、うお!? おいなんだよ!」
「んー……何じゃ三鏡騒々しい」
「もう、夜更かしはお肌の大敵よー?」
「ダー!」
「ちょ、男鹿赤ん坊どうにかしろよ!」
「何ですか……電気つけますよー……」

もぞもぞと目覚めたハゲたちが電気をつける。
ベル坊はやっとオレに気づくと、小さく雄叫びをあげて這い寄りしがみついてきた。

「ったくよー、木魚になった夢見ちまったじゃねーか」
「わりーな、ん? どしたベル坊」
「ダー……」

切なげに見上げる眼、タイミングよくぐー、と鳴る腹の虫。

「……腹減ったってか」
「ダ!」
「あー……朝まで我慢しろ」

ハゲたちがかわいそうだとか、粉ミルク持ってんだろ夕飯のとき見たぞとか非難してくるが、仕方ないのだ。
遠出だからと粉だけ持ってきたが、普段はヒルダが作ったのを持ち歩いていて。
夕飯のときは邦枝が手際よく用意してくれたけど、さすがに夜中叩き起こすのは迷惑だろ。
オレは実はよくわからんのだ、ミルク作るやり方。

「わかんねーって……お前それでも父親かよ」
「とはいえ、私たちもわかりませんしね」
「おなごを起こすのは確かに酷だしのう」

寝てるとこ邪魔されたのは自分たちも同じなのに、一休さんよろしく真剣に知恵を絞り始める。
こいつら案外いい奴かもな、なんてぼんやり思っていたら、眼鏡のハゲがベル坊を抱き上げた。

「何言ってんのよ、粉ミルクぐらいで。そんなのお湯わかして溶くだけでしょ」
「出崎、できんのかよ!」
「そんなの朝飯前よ。さっさとやって寝ましょ、せっかく立派なお風呂入ったのに、明日お肌荒れてたら男鹿ちゃんのせいだからね」

なぜか張りきりだした奴らと連れだって台所へ向かった。
なんだかんだで騒いじまったせいで、結局起きてきた邦枝にうるさいと叱られたが、腹が満たされたのと夜中の冒険でベル坊はずっと楽しそうだった。

「オレ便所寄ってくわ」
「あら、じゃあ先に寝てるわねー」

途中でハゲ組と別れ、歌でも歌い出しそうなテンションのベル坊をなだめながら用を足す。
すぐ部屋に戻ろうと思ったが。

「……少し、風に当たってくか」
「ダ?」

夜風の吹き抜ける縁側に腰を下ろした。
この様子じゃベル坊はなかなか寝ないだろうから、あいつらに文句言われねーようにしばらく待った方がいい。
それにオレも、すかっと眠れるような気分じゃなかった。

「ダッ!? ダー……」
「あんだよ……さっきはあんなはしゃいでたくせによ」

古い建物がきしむ音、鳥が物陰で飛び立つ気配。
闇の中のちょっとしたざわめきにベル坊はいちいちびくついて、背中でぱちぱちと涙目の始まりを感じる。
仕方ねーな、とあぐらをかいた脚の間に座らせた。

「まあ……暗えのは怖いよな」

さっきまでみたいに大勢でいれば気にならない。
それどころか何だよ全然怖くねえじゃんか、なんて調子に乗って、怖いはずのものが平気なのに楽しくなったりするけど。
怖いんだ。本当の闇は、本当の独りは。

「ベル坊……てめーは、どうしたいんだ」
「ダ?」
「兄貴に勝ちてーか。人間……滅ぼしてーか」

聞いたところで何も知らない赤ん坊は、首を傾げるだけだ。
光太との意地の張り合いくらいならともかく、悪魔たちの思惑の絡んだ争いなんて、理解できるわけがない。
人間を滅ぼしたとしても、自分が何をしたっていう自覚なんてないんだろう。
ちょっと知恵のついたこいつの兄貴だって同じ。
言われるがまま、操られるがまま。
それだけで、でも。

「……そしたら、こんなの比べもんになんねーくらい、真っ暗で、独りなんだぞ」

ちょっと暗いだけの部屋で、オレを見つけられなくて慌てるくせに。
たかだか15メートル程度離れただけで泣きわめくくせに。
オレをなんだと思ってんだか知らねーけど、人間滅ぼしたらオレだっていなくなんだぞ。
姉貴やお袋だって、光太だって邦枝だって、学校の奴らだって……古市だって。
兄貴が勝ったらヒルダだって危ないし、アランドロンとかラミアとかあのへんだってどうなるかわからない。

「お前はそれでいいのかよ……」

闇が、独りが怖いってこと、オレだってちゃんと知ったのはこないだだ。
明るいところにいるなんて思ったことはなかった。
いつだって独りで、それでも大丈夫だって思ってた。

けど、邦枝やヒルダが守れなくて倒れてって、そんでいっつもそばでぎゃあぎゃあ言ってるはずの古市もいなくて。
オレは知らなかったんだって気づいた。
自分は独りで戦ってるって、頼れる奴なんていないしいらないって思ってたけど。
独りで拳を振るってたって、独りじゃなかったんだって気づいた。
ガキの頃から今までずっと、あいつとか誰かが闇を照らしてたんだって。

「……ダァ? ダ、ブー」
「……っ」

苦しげに呟き続けるオレを、わからないながらも心配そうに緑の瞳が見上げる。
さすがに風が冷たくなってくると、素っ裸では寒そうだ。
独りでは、寒そうだ。
やわらかいからだを、ぎゅっと強く抱きしめた。

「いいわけ……ねえだろうが……っ」

最後のスイッチを押すのが、こいつか兄貴かはわからない。
どうにしてもその後の世界は真っ暗だ。
泣きわめいたって雷落としまくったって、オレはいない。
それがどういうことかも、何をしたからそうなったのかもわからないなんて、それでいいわけがない。

「……ベル坊」
「ダ?」

守れないのは怖い。
独りになるのは怖い。
今までみたいに誰かに押し付けようとしたり、こいつの兄貴に放り投げたとこで行く先は同じだ。
そう唱えてもなお、オレの力が足りないせいでって眼の前で誰かが倒れていくのは怖い。
けど。

「……お前に、人間滅ぼさせたりしねーからな」

闇の怖さを、光の失いがたさを、知ったからこそ思う。
独りになんか、絶対させない。
暗い寒いところで、泣かせたりなんかしない。
何もわからないままでなんて、もってのほかだ。

作った覚えなんて全くねえが、オレはお前の親だから。

「いいな?」
「ダー!」
「っとにわかってんのかよ……」

威勢のいい返事が夜空に響く。信じようと思った。